2017年7月5日、九州北部豪雨。わずか数時間の間に記録的な豪雨が襲った朝倉市及び東峰村。大切な住民の方々の命が失われ、また、各所に甚大な被害がもたらされました。今回私たちはあれから1年が経過しようするこのタイミングで、朝倉市・東峰村の人々の“いま”をお伝えしようと取材を行ってきました。この地で再び立ち上がり、日々の暮らしや生業を再生しようと前へ進み始めた方々のいまをご覧ください。
(注)この記事は「平成30年7月豪雨」以前に取材したものです。
ここまで、事業者の方々からお話をうかがってきました。ご自宅が被災した方にも当時の状況をおうかがいしようと、朝倉市板屋へ。ご自宅が浸水被害にあい、2ヶ月の避難所生活を余儀なくされた内田さんの1年間のお話です。
「どうぞこちら召し上がって下さい。勤めているところの酒酵母を使った酒蔵まんじゅうです。美味しいですよ」と、内田さんが出してくれたのは、ふっくらとしたおまんじゅう。ほのかにお酒の香りがただよい、優しい味をしていました。勤務先の『篠崎食品』が誇る人気商品だそうです(こちらの会社も当時被災されました)。
−内田さんは一時期避難所生活をされたとうかがっています。当時はどういう状況だったのですか?
近所を流れている細い小川から水があふれたんです。外に出ると、すぐ横に隣の敷地と区切る壁があるのがわかると思いますけど、そこに水がたまって壊れて、全部うちの方へ流れてきて。もう床上浸水です。このあたりで浸水したのはうちだけでした。泥水が入ってきて、全部だめになりました。娘が日本舞踊を習っているんですけど、その着物も全部。あと、納屋も泥水にやられました。農業機械も色々と入ってたんですけど・・・本当に大変でした。それにしても、まさかあんな小さい川があふれてこんなことになるだなんて、思いもよらなかったです・・・。まさかまさかです。
※この高さまで泥水があがった。
−平屋で床上浸水だったら、ご自宅で過ごすこともままならないですね。それからどうされたのでしょう?
犬を飼っているので、まず知人に預けて、そのあとはボランティアさんに預かっていただいて。それから、自分たちは地元のコミュニティーセンターに何日間か滞在して、「ピーポート甘木*」で9月中旬まで約2ヶ月過ごしました。あちらに泊まりながら、こっちへ片付けに戻るような形でしたね。泥水でヘドロみたいになっていて、そのにおいがもう臭くて。においがとれないから、大事なものも泣く泣く捨てましたね。
ピーポートで私たちが過ごした部屋は7家族ぐらいが一緒でした。その方々とは、徐々に仲良くなることができてなんとか生活することができました。そして皆さん仮設住宅やみなし仮設へ移っていかれました。そう考えると、うちはこの自宅へ戻ってこれたので良い方だと思います。やっぱり自宅はほっとしますからね。
−ピーポート甘木で過ごしていた時期は、何が大変でしたか?
1番は食事でしょうか。衛生面を考えての事だとは思いますが、とにかくお弁当が多かったんです。それが続くとちょっときつくて。それと、うちはそんなに気になりませんでしたけれど、衝立がなかったり、男女一緒の部屋だったりが気になる人もいたでしょうね。
−ご家庭によって家族構成も違うと思いますし、きついと感じる方もいたでしょう。被災は突然やってくるので、ある程度はやむをえないのかもしれませんが、いつどこでどんな災害が起こるのかわからないので、地域で避難所の事を課題として話し合っておくのも良いかもしれませんね。ちなみに、その頃、内田さんの勤務先の復旧は、どのように進んでいたのですか?
私は自宅が被災したのでしばらく行くことが出来なかったのですが、2~3週間は職場の状況もかなり厳しかったようです。それでも従業員の住まいが分散していたこと、うち以外被災していた従業員がいなかったこと、ボランティアの方々が入って下さったことなど・・・色々なことが重なって、今は無事、復旧出来ています。ありがたいですね。
−被災されたけれど、その中でもボランティアの方々の支援が「復旧の支え」になったんですね。良かったです。ご自宅に戻られて、どうですか?
最初は何とか寝泊まり出来るだけのスペースを確保したんですよ。それからですね。色々と無くしたものもあるけれど、こうして自宅へ帰ることが出来たし。親戚も修繕に駆けつけてくれたり。アレもコレもいただきものです。それに、娘の小学校の先生方も、片付けの応援に来て下さったり、踊りの先生も着物をくださったり・・・他にも、本当に色々な方に助けていただきました。やっとですね。
−こういう時に人のつながりというのが本当にありがたいですね。一方で、「こうしておけば良かった!」というようなことはありますか?
うーん・・・やっぱり、費用面ですね。保険にも掛かっていましたけど、もう20数年前の契約内容だったので充分じゃなくて。修繕費については全く足りませんね。米とかもしているし、農機具の方もお金ってかかりますから。それと、うちの場合ですけれど、となりの壁が崩れた結果、水が流れ込んでいるので。壁がしっかりした基準で作られていたら・・・と思うと、残念ですね、本当に。とは言え、家族みんな生きてるし、我が家に戻れたし。今年も田植えはするし。それに、実はうちの娘、夏休みの自由研究で避難所の様子を調べたんですよ。そしたら佳作になりました。そうのもね、経験があったからですね。
「いつもの暮らし、とってもありがたいですよ。ほっとします」と語った内田さん。視線の先では、順調に育った苗たちが田植えを今か今かと待っていました。
(取材協力:あさくら観光協会)
*ピーポート甘木:朝倉市総合市民センター/指定避難所となっている。
=参考情報=
今回の九州北部豪雨については、関係機関各所で情報が色々と発信されています。
福岡県の被災者支援ポータルページで、リンク集がUPされています。
http://www.pref.fukuoka.lg.jp/contents/hisaisyasien0.html
→連載コンテンツ「朝倉・東峰のいま」1本目記事はこちら。
→連載コンテンツ「朝倉・東峰のいま」2本目記事はこちら。
→連載コンテンツ「朝倉・東峰のいま」3本目記事はこちら。
→連載コンテンツ「朝倉・東峰のいま」4本目記事はこちら。