こちらは株式会社SALTの社員募集、業務委託、パートナー等の求人募集としてのこれまでの歩みを中心に紹介した記事です。記事の最後に応募要件や、求人募集に関する説明会情報を掲載してますので、SALTに興味がある方、何か一緒に取り組みたい方は、ぜひ最後までご覧ください。
福岡市西区・今宿エリアの海に面した場所にたたずむ「SALT」。同ビルの3階が株式会社SALTの本社です。福岡市の中心地からも電車で20分ほど。まるでリゾート地に訪れたかのように、穏やかに波の音が聞こえる魅力的な場所には、ワークスペースでもあり様々な人が出入りしている入り混じる空間。
2022年で創業20年を迎えるのを前に、2021年10月、株式会社スマートデザインアソシエーション(以下:SDA)は株式会社SALT(以下:SALT)に社名を変更しました。これは単なる社名変更ではなく、SALTに関わる人たちの強烈な意志表示です。コンセプトは「次のいとなみを、共に」。SALTの活動や想いに共感する人たちと、それぞれの生き方の一歩一歩をともに歩んでいく、そんな決意が示されています。
「自らの生き方を探索し行動し続ける人=SALTな人」として、次のいとなみを共につくり、共に歩む、SALTらしい人との出会いを広げるべく、新たに事業や職種に縛られない「SALTな人」をメンバー募集されます。
この記事を読んでいただいている一人ひとりにある想いを、SALTと共に行動し、変化の過程をつくって行く。そんなSALTらしい”関わり方”につながる出会いが、この求人募集の過程を通じてうまれていくようにとの想いです。
「SALTで挑戦したい、何かやってみたい人はもちろん、これまで関係がある方にも今回の求人募集でSALTらしさが伝わり、共に行動が広がる状態をつくっていきたい」
そう話してくれたのは、株式会社SALTの中でも、福岡の事業の立ち上げ期から関わる、霜田広太郎さんと鎌苅竜也さん。会社が本社を東京から福岡に移して間もない立ち上げ期から、どのようにSALTと共に育ってきたのか、そして、何を大切に想い、どんな未来を描いているのか、「SALT」が歩む次のいとなみについて、SALTなお二人にたっぷりとうかがいました。
次の生き方をつくる選択から、SALTという活動と人格ができてきた
■話し手
・霜田広太郎(クリエイティブディレクター)
SALT社内のデジタル領域、Webやデザインなどプロモーション関連での制作全般を担当。電気・機械系のキャリアや趣味のDIYを生かして、空間づくりやリアルな場づくりに関わることも多い・鎌苅竜也
「SALT」「HOOD天神」「快生館」など自社拠点の運営のほか、企業や自治体が保有する不動産の有効活用を伴走。その他、自身の移住体験をもとにした移住相談や、住まい・事務所・店舗等のご紹介、仲介などを担当。※社名変更とともに、名刺を刷新。その際、自分で自由に肩書を決定したのだそう。鎌苅さんは、自分の中でしっくりくる肩書が見当たらず、肩書を空欄に、霜田さんはクリエイティブディレクターに。「少しかっこつけてしまいました…」と霜田さん。どちらもらしさが感じられます。
■聞き手
・藤本和志(パートナー)
「移住計画」の企画・求人担当。現在、京都と福岡の二拠点で、全国との関係性を紡ぎ、自身も実験しながら、生き方・働き方の選択肢を広げる活動を行う。
SALTのことを知り尽くしたお二人ですが、まずは関わることになった経緯を、教えてください。
霜田:もともと東京で会社をやっていた代表の須賀が福岡に移住したのが2012年。出会ったころは、SALT(当時:SDA)も福岡を第二の拠点として仕事を生み出していこうと模索していたころで、福岡での社員はまだ1名しかいませんでした。
ぼくは2015年に入社したんですが、その前は東京で働いていて。そろそろ地元に帰りたいな、と思い、東京から福岡へ戻るタイミングだったので、折角なら福岡でしかできない仕事をしたかった。福岡は紹介文化もあるというので、面接を受けて会社に入るというよりは、なにか出会いによる新しい働き方が見つけられないかと思っていて。当時SALTが東京で開催していた福岡への移住イベントに参加したりと、いろいろと人に会っていました。
福岡との関係性づくりからSALTにたどり着いた感じですか?
“海辺のシェアオフィス”として「SALT」がオープンして間もない頃に、見学に行ったんです。その時に、須賀から「これから福岡でもウェブを中心に仕事の幅を広げたい」という話を聞いたんです。ぼく自身は当時フリーランスでやっていた時期だったので、お手伝いというか、お試し的な感じで3ヶ月ほど一緒にやってみて。SALTメンバーと行動をともにしていくうちに、自然を積極的に感じにいくような働き方、そして地域に還元していく仕事にとても魅力を感じるようになり、その後、正式にジョインしました。
鎌苅さんは霜田さんの翌年に入社されたんですよね。
鎌苅:そうです。SALTに入る前は渋谷が本社の不動産会社で、不動産デベロッパーとして働いていました。
もう今や“SALTな人”と呼ばれている鎌苅さんが渋谷で…!想像がつかないです。
今思えば自分でも違和感しかないですね(笑)。当時は、細身のスーツにネクタイで通勤していましたよ。
どのような経緯でSALTを知ったんですか?
2015年秋ごろに参加した、渋谷での不動産イベントがきっかけです。全国各地の不動産を扱うプレイヤーがたくさん登壇している中、唯一不動産業界以外からの参加だったのが、SALT代表の須賀だったんです。これから不動産事業を増やしていきたいっていう話をしていて、これは面白そうだ、と、その場でコミュニケーションをとりました。そこから家族にも相談して福岡に移住。SALTに入社しました。SALTに出会ってから半年以内の出来事でしたね。
半年で、仕事も住まいも一気に変化したんですね。そのころ転職を考えていたんですか?
前職は会社の規模が大きかったので、地域の経済を動かしたり、大きな人の流れをつくり出したりするダイナミズムに惹かれて働いていたんですが、このままでいいのかなと漠然とした焦りやモヤモヤを抱えていて。
どういうところにモヤモヤしていたんですか?
思うところが3つありました。1つ目は、ほかの不動産会社でも同じようなことができるような状況だったので、自分たちの会社、さらには僕がやる意味ってなんだろうと。
そして2つ目は、ひとつの会社の中で生き抜く術だけを身に着けて生涯働いていて、本当にそれでいいのだろうか、と。それって逆にリスクだなって思ったんですよね。もっと自分で生きていく力が必要だと感じました。
さらに3つ目は、ちょうど東京でオリンピックが開催されることが決まったタイミングだったんですが、不動産業界はみんながみんな「豊洲だ!晴海だ!」「ホテルや住宅をたくさんつくろう!」ってなっていて。その反面、世の中は「少子高齢化、過疎化」が叫ばれていて…。同じ不動産やるならそっちをやった方が面白いよなって。だからこそ、規模は小さいけれど、最初から最後まで自分の手がかけられるようなSALTの事業や考え方にとても興味を惹かれたんです。
お二人はSALTに出会ったことで、これまで感じていた大手や業界での働き方の違和感を踏み出す決断だったんですね。当時のSALTは今とはまた違った働き方だったんですか?
鎌苅:僕がSALTに入った時は、天神の街づくりを担う西日本鉄道さんとの共同事業として、HOOD天神の運営が新しく始まるなど、事業の軸が生まれて、社員も数人増えてきたタイミングでした。
霜田:鎌苅さんが入ったころは、少し“会社”に近づいた時だったかもしれないですね。僕が入った頃は、みんなで夢を語っていた時期で、糸島でワーク体験をしたり、地元の方と交流をしたりと、会社で働いてるって感じよりもライフスタイルを楽しみ実験しているような日々でしたね(笑)。福岡移住計画の活動が本格的に進み出したのもその頃でした。
ぼくにとっては、東京での縦割り組織から、SALTでのいろんな仕事を横断する働き方に馴染んでいく時期だったかなっていう感じです。
ライフスタイルと密接した働き方であり、少しずつ仕事っぽくなっていった時期ですね。当時は、具体的にどういう仕事をしてましたか?
鎌苅:SALTが運営するワークスペースなどの拠点もだんだんと増えるなか、場のプロデュースの相談も徐々に増えてきました。その後、会社として宅建免許登録を行い、福岡に進出してこられる企業の社員さんや移住希望者の方々の住まいや移住後のコミュニティをサポートする不動産仲介業を行うようになっていきました。
不動産仲介については、ただ仲介するだけではなく、住まいや店舗をかまえた後の暮らしやビジネスのサポートをさせてもらっており、皆さんがその地域にうまく着地させられるように考えて、取り組ませてもらっています。物件を仲介するまでは丁寧にコミュニケーションするけど、その後のことは知らない・関わらないという不動産業自体に違和感を感じていたので、SALTでは企業や個人の仲介後の関わりも継続でき、やりがいを感じていました。
SALTとともに働き方が理想に変わっていったんですね。昨年には、改めて会社名もSALTに変わり、SALTの今を2人はどう見ていますか?
鎌苅:社名が変わったことにより、より自然体な状態になったんじゃないかなって思いますね。Smart Design Association(SDA)という社名が若干背伸びしていたとしたら、ようやくちゃんと地に足ついた状態になったのかなって。
これまでのぼくたちは「デザインや不動産、コミュニティやってます!」っていう手段・サービスを前面に出すスタイルだったんですが、どこか少し違和感としてもあって。
「SALT」という場所でこういう仕事の仕方や暮らしをしてますって、SALTという状態・スタンスが前に出せるような。やっていることは変わらないけど、ありのままの僕たちを伝えられるなと、肩の荷がおりた感じがしています。
これまではサービスである“手段”が前に出ていたけど、これからは“人”を前に出していき、SALTらしい在り方を示していく、と。
霜田:ちょうど鎌苅さんが入社したころから、毎月社員での合宿をやっているんです。それぞれが“これからどうしたいのか”なんていう話をしていることが多いんですが、SDAという社名が、なんだかぼくたちの考え方が反映されていないよねっていう話になって。社名だけが、何だか違う方向を向いている感じがして。社名変更に合わせてビジョンやコンセプトを具体的に言語化する作業をやっていましたが、個人的にもSALTという社名はしっくり来ていました。
合宿などを通じて、みんなの意見を聞いたり取り入れていると、1本の道に表現しつくっていく工程は難しそうですね。でも、それがSALTらしさなんですかね?
霜田:はい。向いている方向はもちろん同じなんだけど、それぞれの個性を活かす、容認する組織なのかな、って思っています。
鎌苅:社名が変わったことで「SALT」っていう1本になったんですよね。抽象的ですが、1本といっても、たくさんの1本が束になっているイメージです。
なるほど、個性が彩る花束みたいなイメージですね。すごく腑に落ちました。