暮らしが変わるいま、ファミリー実践者に聞く2拠点生活のこと。

新型コロナウイルスにより、福岡のみならず日本全体が直面している変革の時。テレワークの普及で、オフィス自体を解約する企業も増え、勤務地に縛られていた暮らしが変わろうとしています。それに伴い「移住」が再注目され、3.11以上に地方での暮らしに熱い視線が注がれています。
2019年、新型コロナウイルスが発生する以前に、拠点を五島列島の長崎県五島市に移し、福岡との2拠点生活を送る白石洋一さん。移住に失敗しないコツや、コロナ禍においての生活の変化についてうかがいました。

働き方をシフトして移住へ

――白石さんは2拠点生活をスタートさせるまで、ずっと会社員だったんですか?

白石さん:大学を卒業してからずっと会社員でした。今も業務提携先としてお世話になっている株式会社ダイスプロジェクトに入社したのが2010年。実は、そのころから「独立しないの?」と、周りからいわれることも多かったのですが、正直居心地もよかったですし、割と自由にやらせてもらっていたので、独立をする理由がなかったんです。

――では、なぜ独立しようと思われたんですか?

白石さん:ずばり、移住を決意したからですね。夫婦とも、ずっと福岡にいるつもりはなく「いつか出たいよね」っていう会話はよくしていたんです。とはいえ、子どももいますし、福岡で生まれ育っていたこともあり、住み慣れた場所を変えることにリスクを感じていました。そうこうしているうちに妻から突然「行きたいとは口で言うけど、本気で環境を変える気があるのか。あるなら 2週間以内に答えを出して」と、最後通告を出されたわけです。このままハッキリしないなら、子どもを連れて2人で移住することも考えている、と…。これはいよいよだな、と。どうにか交渉して1ヶ月の猶予をもらいました(笑)。

――奥様の背中の押し方がすごいですね…!移住先についてはもともと考えられていたんですか?

白石さん:すごいんですよ(笑)。出身が福岡県なので、行き来がしやすいように福岡からの直行便が出ていること、そして、英語圏の国を移住先に考えていました。

――国外が第一候補だったんですね!

白石さん:そうなんですよ。第一候補はマレーシア。移民受け入れにも寛容的ですし、今経済成長も著しいので、面白いかなって思ったんですよね。

――会社(ダイスプロジェクト)には、すぐに相談したんですか?

白石さん:1ヶ月しか猶予がなかったので、マレーシアに移住するつもりだとすぐに相談しました。業務委託として個人で仕事を受けられるよう、契約形態の変更をお願いしました。ダイスプロジェクトはぼく以外にも3人ほど業務委託提携を結んでいるので、意外とすんなりと受け入れてもらえました。

▲ダイスプロジェクトでの業務実績(IMS SUMMER2020 最果タヒ“詩のインスタレーション”空間演出)

――業務委託という形をとったのはどうしてですか?

白石さん:シビアな問題なのですが、貯金がたくさんあったわけでもないので、固定収入をゼロにして出発というのは難しいなと感じていました。夫婦2人だけなら“なんとかなる”でいけたのかもしれませんが、子どももいますので…。さらに、移住先が海外となるとなおさらで。会社とは、月1〜2回程度必要な時に出社するという約束だけしました。

※そうして2019年4月にダイスプロジェクトを退社し、5月には個人事業主として独立。福岡市内の住まいは7月末の解約を目指し、2拠点生活に向けて計画を進行しました。

――まず取り掛かったことを教えてください。

白石さん:拠点となる移住先を探す段取りです。実は、第一候補だったマレーシアですが、妻の「私のフィーリングではベトナムなんだ」というひとことで覆りまして(笑)。ならば一旦9月はベトナムで過ごしてみようと計画を立てました。そのほか国内でも8月に、五島列島に住んでいる友人に「うちで1ヶ月ホームステイしてもいいよ」といってもらえたので、甘えさせてもらうことに。

――それが五島とのきっかけなんですね。実際に五島に行ってみていかがでしたか?

白石さん:観光ではなくそこに住んでいるつもりで暮らしてみました。娘も何回か五島の保育園に預けたりして。ぼく自身も10日に1度は来福し、2拠点目として活用している福岡市内の実家(一室を事務所として使用している)から出社しました。そこでわかったのが、保育園がとにかく必須だということ。ぼくが福岡に行っている間は、妻が一人で娘の面倒を見るわけです。娘は当時2歳でイヤイヤ期真っ盛り。慣れない土地でのワンオペはとにかく負担が大きい。だからどこに移住したとしても、保育園のことをまず考えないといけないんだな、とわかりました。

――その後に行ったベトナムはどうでしたか?

白石さん:活気にあふれ、物価も安くて暮らしやすく、日本よりもテクノロジーが進んでいることを肌で感じました。国の平均年齢が31歳のベトナムだからこそ国全体がパワーに満ち溢れていて、自分も一緒に持ち上げられるような感覚でした。「今日より明日はよくなる」って当たり前に思っている感じ。今の日本にはない雰囲気ですね。

――そんな中で五島列島に決断されたのはどうしてですか?

白石さん:ベトナムはすっごくよくて、暮らすならハノイと思っていました。でも、ハノイは世界でもトップクラスの大気汚染都市。ここで子育てをするのはどうなんだろうと夫婦で話し合いました。他にも、現実的に考えたときに、ハノイの日本人向け、もしくはインターナショナルの幼稚園や保育園は正直、ぼくらにとっては値が張るものでした。事前に調べとけよってかんじですが(笑)。ビザやら保育園やら…体制をしっかり整えないといけないと考えると、これはすぐに移住は難しいなって思ったんです。
それから、実は五島に行っている間に空き家バンクですごくいい物件に出会っていたということも要因のひとつです。立地はもちろん、トイレにはウォシュレットがついていて、すぐに快適に住める状態の空き家バンクには珍しい綺麗な物件で。これは逃すのはもったいないと取り敢えず仮押さえをしていました。海外に移住したとしても日本国内に拠点がたくさんあるのは悪くないなって思って。さらに、正式に島民になると“五島つばき空港→福岡空港”間が通常片道約18,000円のところ、約10,000円になるんですよ。月に3回往復しても60,000円。そして、福岡で住んでいた家と比べて約倍の広さになるのに家賃は福岡の半額程度。その両方を合わせても、これまで住んでいた福岡の家賃とさほど変わらなかったんです。これは暮らしが成立するな、と思いました。


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2拠点生活における、仕事・子育て・居住環境

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