【SALTな人vol.9】「まずはやってみる姿勢」が自分らしく働くきっかけに。

2015年4月、福岡市西区今宿に誕生した海辺のシェアオフィス『SALT』。このシェアオフィスは、私たち「福岡移住計画」が運営しています。オープンしてから4年が経過し、『SALT』にはどのような方々が入居し、日々空間を共有しているのか。シリーズ「SALTな人」では、利用者の視点から『SALT』という場のリアルについてお話を伺います。

今回のインタビューは、フリーランスのシステムエンジニアとして教育関連のシステム開発などに携わる調原作さんです。SALTとの出会いがフリーランス転身のきっかけになったという調さん。当時のエピソードや作品制作や音楽活動などアーティストとしての一面、今後取り組んでいきたいことなどをお聞きしました。

アートの世界からSEに

ーー前回の木内さんに引き続き、フリーアドレス会員の調さんにお話を伺います。まずはご出身地と現在のお仕事内容についてお聞かせいただけますか?

出身は福岡県の久留米市で小学校に上がる前から福岡市に引っ越してきました。会社員時代に東京や大阪などに数年間に暮らしましたが、帰ってくる場所はいつも福岡市でした。
現在はフリーランスに転身して場所を問わずに働けるので福岡を拠点にシステムエンジニアとして幅広い案件に取り組んでいます。

ーーお仕事の関係で他県にも住まれていたのですね。ちなみにITの知識は大学や専門学校で学ばれたのですか?

いえ、システムエンジニアの仕事は30代になってからスタートしまして、全て独学で習得しました。大学は現在の九州産業大学造形短期大学部 (旧九州造形短期大学)に進学し、油絵を専攻していました。卒業後の約10年はアートや音楽関連の仕事を転々としていましたね。美術館の臨時職員、展覧会スタッフ、海外からのアートインレジデンスメンバーの受け入れサポートなどをしながら、自分の作品制作、それと仲間と一緒にバンド演奏でステージに立ったりしていました。

ーー30代になって独学でシステムエンジニアに!思い切った決断ですね。アート関連の仕事からシステムエンジニアに転身された理由は何だったのですか?

大学を卒業した後に1年ほどアメリカのボストンに留学していたんです。アートの学校に進学を目指してまず現地の語学学校に入ったのですが、トラブルに遭ったり、病気になり資金が尽きて結局そのまま帰国したというオチなんですが(笑)。でもアメリカに留学したことで、これからはどんな国でも仕事ができるスタイルでやっていきたいという思いが芽生えて。Webという技術に国境は関係ないし、世界規格のスキルを習得すれば、より生きやすくなるなと感じてシステムエンジニアの知識をつけ始めました。
父がもともとシステム開発の仕事をしていて、大学となどにしか回線がなかった90年代初期に、その回線を一部間借りして自宅に引いて仕事をしている姿を横目にみていた記憶があります。当時はwindows95が出る前で月10万円ほどかけてパソコン通信をしていた父の姿が今の仕事に繋がる最初の原体験ですね。それで30歳のときにシステムエンジニアとして働きはじめ、スキルを磨きながら東京や大阪の企業など転職をしながら数社で経験を積みました。

▲こちらはアイスランドでの風景

ーー留学先での経験やお父様の影響から30歳で新しい分野へ進まれたんですね。アートの世界とシステムエンジニアという違った分野へ挑戦するときの心の葛藤などはなかったですか?

これと決めたら一点集中するタイプなので、企業で働いたときに自分がどう感じ、どう判断するかを単純に知りたいと思ったので、当時は好奇心に従いシステムエンジニアに集中する選択をしました。
失敗をおそれないわけではないですが、失敗しないと分からないこともあるので失敗することが目に見えていても、あえて挑戦する場面もありますね。ポジティブなこともネガティブなことも、何事もまずは一度体験して判断していくというのが自分が大切にしている姿勢なので。

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SALTとの出会いが働き方を変えるきっかけに

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