2015年4月、福岡市西区今宿に誕生した海辺のシェアオフィス『SALT』。このシェアオフィスは、私たち「福岡移住計画」が運営しています。オープンしてから4年が経過し、『SALT』にはどのような方々が入居し、日々空間を共有しているのか。シリーズ「SALTな人」では、利用者の視点から『SALT』という場のリアルについてお話を伺います。
今回のインタビューは、フィリピン・マルタ共和国への留学をサポートする留学エージェント「English Bird」を運営されている小野里寛子さんです。
変化の激しいこの時代に、一貫して新しい生き方・働き方と向き合って自ら人生を切り拓いてきた勇気溢れる小野里さんに、これまでの活動やSALTでの過ごし方などをお聞きしました。
ーー前回の寺田亜紀さんに引き続き、SALTホリデー会員の小野里にお話を伺います。まずはご出身と、ご経歴についてお聞かせいただけますか?
出身は群馬県の前橋市です。「好きなことを仕事にしたい」と思い、高校卒業後に上京し、服飾の専門学校へ進みました。専門学校卒業後は転職を繰り返しながら15年ほどファッション業界で仕事を続けました。31歳で勤めていた企業を退職しフィリピンへ留学をしたことをきっかけに2012年に個人で留学エージェントを立ち上げ、現在はフィリピンやマルタ共和国への海外留学のサポートをおこなっています。
正社員の肩書きを捨て転職でスキルアップ
ーーアパレル業界では具体的にどんな仕事をされていたのですか?
パタンナー、販売、人事、PR(プレス)…など大きく4つの職種を経験しました。
就職氷河期に社会にでたこともあり、自分でスキルを身につけて、いつ・どんなときでも生きていけるようにしようと危機意識をずっと持っていました。ですからスキルアップのために正社員になるのをやめて、身につけたいスキルを優先し、派遣社員として仕事を選んで転職を繰り返してきました。
ファッション業界で広報宣伝に関わるPR(プレス)の仕事をするのが夢で20代はその目標に向かってひたすらキャリアアップに励みました。当時はまだ学歴を優先する風潮が強かったので、PR(プレス)はエリートしかつけないポジションで専門学校卒の自分には相当チャンスが低くて…。でも現場の販売職からスタートして、肩書きに縛られず転職を繰り返しながらコツコツとスキルアップ・経験を積んできたことが評価され、29歳で晴れてラグジュアリーブランドのPR(プレス)に就くことができたんです。
ーー「肩書き<スキル」を追求し、コツコツ努力を続けた小野里さんの勇気ある行動と努力が実って夢を叶えられたんですね。
念願のプレス職の夢を叶えられたあとに留学を決断されたきっかけは何だったのですか?
世界的にも有名な外資系のラグジュアリーブランドだったので、職場ではいわゆるエリートたちに囲まれていました。もちろん周りは英語も堪能。そんな中わたしは、英語力がゼロであいさつだけで緊張してあがってしまう状態。当時、海外から毎日電話がかかってきて、電話を受ける係がわたしの担当だったんですが、まったく答えられなくて…。だから英語スキルがないこと・海外経験が乏しいことへの劣等感をとても感じていたんです。
その後PR(プレス)について1年ほど経った頃に東日本大震災が起こって。将来を見据えたときに10~20年この仕事を続けていくイメージもなかなかできないなと思ったんです。
それで、外資系で働いているのに英語ゼロで海外経験もなく周りと比べて劣等感を感じている自分を変えたいなと思い、退職を決意し、31歳で人生初めての留学にチャレンジしました。
30代で初めての留学に挑戦
ーーPR(プレス)の夢を叶えた後にさらなるスキルアップのために留学を決意されたんですね。当時はまだフィリピン留学も今ほどメジャーではなかった気がしますが、不安はありませんでしたか?
そうなんです。当時は日本人の語学留学先としてフィリピンはまだまだマイナーな場所でした。治安や語学学校のレベルなども不安に思う声もありました。
でも実際に現地で英語を学んだわたしはその可能性を感じ、これは日本で必ず受け入れられるという確信がありました。実際ここ5年ほどでフィリピン留学はかなり日本人に浸透しています。
それで、帰国後は自分が実際に足を使って集めた情報や経験を元に留学エージェントを立ち上げ、留学したい人のサポートを開始しました。現在は主にフィリピンとマルタ共和国への留学を扱っています。
ーーなるほど。留学から帰国された後は東京に戻られたんでしょうか。現在のように福岡を拠点に活動されるようになったきっかけをお聞かせいただけますか?
はい、留学から帰国したあとも拠点は東京でしたし、起業したのも東京です。
出身地の群馬など北関東の人は東京に憧れて一度は上京したい思う人が多いと思いますが、わたしもまさにそうで、高校卒業と同時に上京してそのまま15年間東京を拠点に生活を送ってきました。
ただ30代で海外に出て、何カ国も違う国を訪れて東京に帰ってみるとそれまでとは景色が変わって見えたんです。東京はいくところまでいってしまったというか、あまり未来を感じられなくなったんです。逆にこれからは地方の方が面白いんじゃないかって思いが芽生えて。
東京が商業化されてどの街も同じようなお店が並んで画一化される一方、地方には東京が失ってしまった文化が残っていて。目に見えない部分ですが、特に地方には、人と人とのコミュニケーションを大切にする人の温かさが未だに根付いている点が、居心地がいいな~と感じます。