店内に入ると、どこを向いても目に飛び込んでくるコーヒーカップ。その数なんと2000客以上! 有田焼のギャラリー兼カフェレストランとして33年続く「ギャラリー有田」さんから「ブランドマネージャー」と「レストランスタッフ」募集のお知らせが届きました。
今回は福岡を飛び出して、お隣の佐賀県有田町からお届けします。
世界中で愛される有田焼
佐賀県の西部に位置する有田町は、世界に名だたる有田焼の生産地として知られ、人口約2万人の町民の7割ほどが、なんらかのかたちで焼き物に関わるという窯業の町です。
江戸時代には伊万里港から出荷されたため、IMARIの名でも知られる日本初の磁器・有田焼。安価な海外製品に押され一時期低迷しましたが、現在では伝統的な作品のほか、国内外で活躍するデザイナーと組んで製品を発表するなど、進化を続けています。
町を歩くと、アジア圏のみならず欧米からの観光客の姿もちらほら。通りには焼き物のギャラリーやお店、窯元が軒を連ね、他では味わえない独特の町の雰囲気と焼き物を求めて、いまや世界中から人が訪れています。
さらに、有田にはネイバーフッド(地域密着)型のカフェ&ショップの『Fountain Mountain』や、まちなかをマルシェにする『うちやま百貨店』、空き家や移住相談などを行う『灯す屋』、オランダ人女性が営むゲストハウスがあったりと、住む人にとっても、実は最近とても“おもしろそう”な町なんです。
▲有田のトンバイ塀
そんな有田で30年以上前から人々を迎え入れてきたのが、ギャラリー有田さん。ギネスブックへの申請も準備中という2,000客以上のカップ&ソーサーのコレクションから、好きな器を選んで喫茶を楽しめる趣向に、器好きとしても心が浮き立ちます。
素敵なカップに囲まれながら、海外進出も視野に入れる代表取締役の久保田充昭さんやスタッフの方にお話を伺ってきました。
カラオケ店からギャラリー運営者へ
−−いきなりですが、お若いですね! 有田の有名ギャラリーの代表ということで、失礼ながらもっと年配の方を想像していました。いつからこちらの代表をされておられるのでしょうか?
久保田さん:今年で34歳です。いくつか事業をやっている父からここの運営を任されたのが2012年ですから、7年前からですね。
もともとギャラリー有田は、1986年に店舗を持たずに焼き物の行商をしていた父が、ギャラリー兼喫茶店として始めました。いまも少ないですが、特に父が始めた当時の有田には喫茶店がほとんどなく、しかもずらりと並んだ有田焼のカップから自分で選んだ器でお茶が飲めるというかたちが珍しく、たくさんの方にお越しいただきました。
私が引き継いだ2012年頃、実はこちらの運営はあまりうまくいってなかったんです。お客様自体は変わらず来てくださっていたのですが、運営する「店長」がいなかった。アルバイトスタッフの都合でシフトが決まっていて、平日にはたくさんスタッフがいるのに、休日にいなかったり。私の最初の仕事は、きちんとしたシフト表をつくることでしたね。
−−去年はレストラン部分を増築されたんですよね。その状態からよくぞ、という感じですが、もともと有田でお父様の会社を手伝われていたのでしょうか?
久保田さん:大学の商学部を出てから、別の会社に入り、カラオケの店舗運営をしていました。もともと飲食といった接客業が好きだったんです。ただ、昔から地元に戻って“家業を継ぐ”という意識はありました。ギャラリーの運営については一から学びましたが、前職での経験が喫茶のほうで活きました。
時代に合わせて、喫茶店だけではなく地場のものを使ったカフェレストランとしたことも大きな変化です。もともと集客自体はありましたので、運営を見直し、時代のニーズを取り入れたことで利益がきちんと出るようになりました。
▲伊万里牛煮込みハンバーグ膳(HPより画像抜粋)
そこで次の段階として、新メニューの開発・調理なども行えるレストランスタッフや商品企画・運営のマネジメントができる幹部候補を募集したいと思い、今回福岡移住計画さんにお願いすることにしたんです。