【F-LIFE SHIFT story vol.18】快生館から100日後の「回生」(料理研究家ダイちゃん(山本大介))- 前編 –

「F-LIFE SHIFT story」は福岡への移住を検討している人、移住してきて暮らしや働き方をシフトした人たちのストーリーを追った特集です。福岡に来て何が変わったのか、これから福岡で暮らしていきたい・変えていきたいという人たちの参考になればと思います。

プロフィール

料理研究家ダイちゃん(山本大介)

料理研究家、料理で人生を楽しくする人。

2017年、会社勤めの激務やストレスで体調を崩したことをきっかけに自炊経験0から料理を始める。食の改善で心身が回復し、料理にのめり込む。

2019年より煮込み料理研究家(煮込みスト)として活動開始。
2021年からは企業レシピ開発や料理の連載、地上波TV出演など活躍の幅を拡大。

2022年2月、料理で人生を善くする人を増やしたい思いから、料理の楽しさを伝える活動「Cooking For Life」をスタート。全国各地で料理教室や出張料理を行っている。
美味い飯と酒マニア、音楽好き。

料理と食への探究心は人百倍で、お客様から
「メールや提案の文字から味がする」「美味いへの発想が無限」と言われるほど。

大分県出身、都内在住。

来春より拠点を福岡に移し創業、食やマーケティング支援、イベント企画、ビジネスマッチングのための食堂など幅広く活動予定

はじめに

人生において、運命の出会いや、ターニングポイントは突然やってくる。

「あの日あの時あの場所で君と会えなかったら」

30代以上の日本人なら誰でも口ずさめるあのフレーズではないけれど、 僕にとっては「2021年秋・福岡の街・自然・人々」とのご縁と出会いは まったくもってそれにあたる。

まだ100日ちょっとしか経っていない今日ですら

「あの日あの時福岡でこの人達と会えなかったら」

そんなふうに思い返しているし、 きっと1年後、3年後、10年後も同じように思っている、そんな確信がある。

 

100日と少し前の自分の状態

あの日あの時福岡に行く前・・・2021年9月頃の自分はとても荒んでいた。

好きで入った会社のはずなのに仕事には生きがいを感じられず、

その年にテレビ出演や受賞などを果たして達成感の極みにあった料理研究家としての副業もマンネリになり、

「いざ、環境を変えて副業を成長させ、起業するぞ!」と息巻いて事業所兼自宅のつもりで背伸びして(家賃もちょっと無理をして)借りた好立地のマンションで、「以前の自分よりずっと進化した自分」で日々を謳歌するはずが・・・ただただ自分を責める日々だった。

すべてが中途半端で、自分の良さや魅力も全く見えてこない。

「裸一貫で大分から東京に出てきて17年・・・こんなに頑張り続けているのに、なんでこんな上手くいかないんだろう」

※こうして書いている今なら、単に捉え方の問題だよ、と諭してあげられるのだけれど、ほんの100日前の自分は真にこんな様子だった

オンラインでの声掛け

そんな「いい年こいて俺はどこに向かえばいいんだろう?」と、(すでに見えているはずの自分がやるべきことや道を見えないふりして)尾崎がシェリーに問いかけるように(世代感が・・)狼狽する秋の夕暮れ時に、Facebookのメッセンジャーの通知がふと鳴った。

ポップアップには一見、見覚えのない名前が表示されていた。

「kama…?kamakari?かまかり??」

誰????

珍しい名字であることも相まってか、その瞬間はどこの誰から何の連絡が来たのかわからなかった。

メッセージの送信元の正体は、福岡移住計画の鎌苅(かまかり)さん。

思えば私はこの2ヶ月ほど前に、福岡移住計画を運営する株式会社SALTが拠点を構える「福岡市西区今宿エリア」の魅力を伝えるまちあるきをオンラインで実施する、というなかなか大胆なたてつけのイベントに参加したのだった。

その際に「福岡に遊びに行きます!」と宣言していたものの、立ち行かない生活、うまく行かない日々、展望もやりがいも全く見えない仕事・・そんな現実にかまけてすっかり実現しないままだったのだ。

「あ〜、あいつ口だけは行くと言っていたけど、結局福岡には来ないんだろうな・・」

そう思われているだろうな、イヤン・・・と頭の片隅に有りつつ、思考も視野も狭くなる一方だった袋小路の自分には、目の前の現実をさばいていくことで精一杯だったのだ。

kamakariさんのメッセージにはこう書いてあった。

「11月、快生館のイベントに来ませんか?山本さんにぜひ来てほしいんです」

 

何やら、福岡の温泉地の跡地で行われるイベントだそうだ。

その「快」「生」の2文字に光明を感じた自分は、すぐに鎌苅さんとZoomをつないだ。 詳細を聞き、現状を言い訳にするのも辞め、万難を排してでもこのイベントに行こう、と決めたかった、という深層心理というか、本能的な直観のようなものがあったのかもしれない(あれから100日余りが経過して、その直観は間違いないどころか、自分の人生でもかけがえのない機会だったことがわかるわけだが)。

鎌苅さんの柔らかい物腰と「きっと何か感じるものがあるだろうから、ダイちゃんに来てほしいんですよ」という後押しが、決断をさせてくれた。

そして、100日(当方の遅筆でもはや150日だが)経った今だからわかるが、この時の鎌苅さんからの声かけが、私の人生における「起死回生」の狼煙だったのだ。

 

当日、福岡到着までの心境

正直を言うと、当日まではワクワクや楽しみよりも不安が勝っていた。

事業不調と財政難で渡航費もギリギリ、精神的にも落ち込んでいた。うまくいかないこと続きで「果たして自分は現地で明るく笑顔で振る舞えるだろうか、、」と不安しか無かった。

 

そうこうするうちに当日はやってきた。

早朝に自宅を出発し、品川発、博多行きの始発から三本目の新幹線(驚かれるかもしれないが、私は博多まで新幹線で行くのが全く苦ではなく、コロナ禍で新幹線に乗れない期間が長かったこともあり、嬉々として往復新幹線移動を選択した)に搭乗。

その時は現地で起こることへの楽しみよりは、新幹線で駅弁を食べながら車窓を眺めてゆったりできる、その時間のほうが楽しみなくらいだった。

(ビールも朝から飲んじゃいました えへ)

それぐらい、自らの決断で参加を決めたものの、不安がいっぱいだったのだろう。

新幹線の中では到着後の事は考えず、聞き慣れた音楽や繰り返し読んだ本などをあえて読んでいたのを覚えている。

杞憂と当日の変化

あれよあれよと言う間に、新幹線はJR博多駅へ到着。

目的地である古賀までは在来線に乗り換え、快速で20分程度。

「いよいよ到着してしまうのか・・」

もちろん楽しみではあったものの、その頃の自分はいろんなことに自信をなくしていたし、嘘偽りない自分で振る舞うことすらも怖くなっていた時期だったのだ。

 

古賀駅に降り立ち、不安いっぱいで待っていると、鎌苅さんが車で迎えに来てくれた。

「はじめまして!」「そういえばそうでしたね」

コロナ禍というわけでもなく、自分くらいの世代からは、ネットで先にあって本人に後で会う、という時間差には慣れているのだが、それでも自分としては福岡まで思い切ってやってきたということのインパクトも有り、今までにない感覚を味わった気がする。

 

あっというまに薬王寺温泉エリアに到着し、快生館で運営の皆さんともご挨拶。

荷物を置き、早速2階で開催されているトークイベントを観覧。

静かに、ぐっとその場を見入る感覚の中で、楽しもう、楽しもう、と思っていてもまだどこか上の空の自分にも気付かされた。流れるように現場の空気を吸い、馴染みながらも、最初の数時間はまだ凍結というか、凍土の中に自分の感性が置かれていたようにも感じた。

「こんなに疲れていたんだなあ・・」東京から離れた場所で改めて自分の心身に長年かかり続けていたプレッシャーを自覚した。

それがわかってから、少しずつ身体の緊張がほぐれていったことを覚えている。

 

トークイベントの合間、外に出て深呼吸をした。

空気や自然、川のせせらぎの音。都心の空気やプレッシャーから解放された体感覚。

だが「田舎って素晴らしい!」という無邪気な感覚でもない。

※そもそも自分は大分県の県南の田舎出身なので、さほど田舎幻想はない

どちらかというと、長年さらされ続けてきた、むやみに膨大なエネルギーの流れの中で、その流れの轟音の中で見失っていた本来持ってた自分のエネルギーに気づいた、そんな感覚。

「あ、俺って本来もっと大きなエネルギーを持っているんだ」

大げさではなく、この日を境に自分の人生の流れも変わったし、本能が開放されたような、そんな「起死回生」を、快生館でこの日体感した。

今思えばなぜ、ここだったんだろうと思うけれど、水なのか、ウマなのかわからない何かがピッタリと合致して、ずっと待っていた水門がバン!と開いたような感覚だったのだ。

 

イベントを終え部屋に布団を敷き、夜は薬王寺温泉名物の「とりすき」を大いに味わい、

 

満腹のほくほくの身体で、まだ温泉が入る前のお風呂で「お風呂Bar」

地酒を川のせせらぎの音とライティング、その日出会った人たちとの話をツマミに盛り上がった

 

ほろ酔いで、旅疲れの眠い目をこすりながら、近隣の温泉施設でたっぷりとお湯に浸かった。

 

ただ過ごして、話して、布団をしいて飯食って風呂入って。

生きる、食う、寝るをシンプルにするりと行った時間。

「なにかのために、なにかをしなくてはいけない」

そんなふうに思って、むしろ自分に強いて(誰も強いてないのに)ずっとガチガチに肩を強張らせて生きてきた数年だったから、高揚や錯覚でもなく、

「ああ、そういえばそもそもこんなもんだった」と思えたのかもしれなかった。

それがよかったのかもしれない。

生きることや、日々過ごすことを幾分か大層にしてしまっていたことに気づいた夜だった。

山登りと自分の感性が開いていったこと

翌朝、とりすきでも味わった新鮮な卵と古賀の米で朝飯

トークイベントを行っていた会場で講師の橋口さんによる朝ヨガ。

あれだけ温泉につかっても心も体もまだまだカチカチだったが、仰向けになりながら「ホントに疲れていたんだな」と神経のはしばしから痛感する。それを感じられた、認識できたことが良かった。

 

装備を整えてトレッキングへ。

これがまた心から楽しかった。

解きほぐした心で、思い切り深呼吸しながら、くだらない話をしながら、踊るように登っていった。

※などとまるで真顔で登ったように書いているが実際はめちゃくちゃしんどかった。非常に疲れた。。のだが、これがまた快感なのである。快生感。何を言ってるのか。

山頂でコーヒーとお茶菓子で一服する。

「昔から知っているような感覚で一緒に登って、話した」なんていうのは陳腐だが、なぜかそれほどに同じ土を踏んで、コーヒーを飲んで、下山道で足を取られたり、疲れて押し黙って歩きながら、息を荒げながら、得も言われる心地よさの中で呼吸していた。

 

福岡と、この人達、だったから

都会で疲れた人間が、地方の自然の中で開放される。

普段の人間関係や職場から離れて、別の場所での人とのふれあいに感銘する。

都会の喧騒から離れて、深呼吸して本当の自分を見つける。

ありふれたようなエピソードだし、ここまでの客観的な描写だときっと私はそういった転化の中で自分を開放したり、感銘したりしているのでは、と受け取られているかもしれないが、それは全くの誤解だったりする。

 

そもそも田舎出身で、田舎の閉鎖性に嫌気が差して上京し、進学・就職した。今でいうスクールカーストというものがあるなら最底辺で、恋愛も青春もなくひたすら日陰で生きた18年間だったので、その負の流れを断ちたくて地元を去ったクチだ。

移住に幻想も抱いていないし、「お客さん」と「住人」の間には大きな違いがあることも知っている。

ほんの数日や、数時間の邂逅や日常からの逸脱で、人生のすべての問題が解決するなんて最初から期待していない。それくらいには醒めている人間だ。年齢のせいもあるのかもしれないし、それだけ「なにかに過度に期待することが無意味」だと人生経験で思わされてきた部分もある。

 

それでも、鼻の奥まで、硬直した思考の隅々まで、呼吸を通して酸素が行き渡ったような感覚は、どうしてだったのだろう。何がそうさせたのだろうか。

深い理由や根拠は今でもわからない。

ただ、福岡という土地で、古賀の自然の中でその感覚にたどり着けたことに意味があったのだと思う。硬直、緊張、不信、疲れ、そういった部品まみれになっていたからこそ、受け取れた感覚でもある。

 

神経の端々まで使って呼吸して、体感覚を取り戻した自分をもう一度信じよう、と思うくらいには目覚ましい体験だった。

そして土地以上に「人」も大きかったのではないかと思う。

もともとずっぷり地元というわけでもなく、都会も知った上でここにいる人達。

過度に馴れ合うわけでもなく、陳腐な優しさや情をたむけてくるわけでもない。

程よい距離感、呼吸、放っておいて、だけれど共有できるようなその感じ。

そういうものは創れるわけでもないし、演出するものでもないから、それもまた「水が合う」と感じた理由なのだろう。

 

心の筋肉が解きほぐされた古賀での1.5日間。

後編では始めて訪れたSALTでの運命の出会い(陳腐だがそれ以外の表現が見つからない)と、旅程を終え東京に戻って感じた「心身の素直な反応ルポ」、自身の変化と大きな決断について綴りたいと思う。

 

 

快生館 公式WEBサイト

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快生館 オープニングイベントレポート

オープニングイベントレポート「東京から福岡へ移住して初めての仕事。快く生きる3日間のイベントを通して見えたこと。」

快生館 鹿の湯祭り(5月28日(土)-29日(日)開催予定)

https://kaiseikan-onsen.peatix.com/

 

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