【F-LIFE SHIFT story vol.17】福岡に戻り、建築士として出会えた生涯のテーマは“木の和(なごみ)”。

山のために、建築士としてできることがある

ーー福岡で久しぶりに暮らして心境の変化はありましたか?

気持ちがナチュラルなものに向くようになりました。そうすると、自分がこれまでやってきた空間作りはどうだっただろう?と振り返るようになって。価格を抑える時の選択肢として化学物質系のものを選ぶのが当時は業界的にも多かったんですけど、自分が関わることで“もう少しナチュラルな選択肢を作ることはできないか?”と考えるようになりました。そこで日本の家づくりを勉強しなおしてみたら、“近くの山の木で家を創ろう”という活動を知って「お〜!こんなことに関わって行きたい!」と強く思ったんです。そんな中で山とつながる家づくりを推奨している工務店が地元にあると知って、働くことになりました。

▲自宅事務所の部屋から見えるタブノキにはフクロウが住んでいるとか。

山で木を育てる方から直接木材を購入してお客さんにつなぐ活動をしている工務店だったので、山に足を運ぶ機会もたくさんあって、山の方とお話することが頻繁にあったんですね。そこで、近くに見える山の現状がこんなに大変だということを知ったのは大きかったですね。

ーー近くの山が大変?どういうことですか?

日本には昔から、近くの山の木を使って家を建てる習慣があったんですけど、戦後の高度成長期に木材が足りなくなって外国から輸入することになった。安い外材の利用が急に増えて、国産材の利用が減ってしまった。スギやヒノキは住宅などの構造材として使える太さになる樹齢60年くらいで伐ることが多くて、戦後すぐに植林されたスギやヒノキが全国に育っています。でも、今60年生の木を伐って市場に出しても、かなり安い値段でしか売り買いされない。林業だけを生業にすることが難しい状況で、放置される山も出てきてしまったんです。


ーー木は伐らない方が環境に良いとばかり思っていました。

自然発生的に生まれた森は、土地に合う様に変化してバランスがとれている。でも人工的に植えられたものについては、人の手がかかる前提の山や森なんです。日本では昔から、木が貴重な燃料や建築の素材として暮らしに寄り添ってきました。だから昔から植林文化があったんですね。でも植林したら植林したなりにずっと手をかけていかないと、山は荒れてしまうんです。戦後の慌ただしい中での色々な社会的要因が今の山の現状となって突きつけられているんだと思います。その現状を知った時に、建築士としてできることが大いにあるなって思ったんです。6年前に再び独立してからも、ずっと九州の山の木を使って家を創る活動を続けています。

遠回りしてたどり着いた、生涯のテーマ

ーー仕事のスタンスを決めたという意味でも、福岡で再び暮らし始めたことは大きな転機になりましたね。

本当に福岡に戻ってきて良かったと思います。色んな場所で暮らして働いて、改めて福岡を見ると、こんなに豊かだったんだなぁって。海も山も近くて、コンパクトって言うのかな。色んなことがキュッと凝縮していて、とっても働きやすいです。山や海との距離感も近いから、普段仕事で車に乗っていても普通に山は見えますしね。仕事で山に行くとホッとするし、温かいつながりを人を通じて山にも感じますし、こういうつながりが身近にあふれているのは本当に幸せなことだと思います。やっぱり大都市圏よりもそれが身近にあるなぁと思います。


▲自宅そばの海岸で、海を見ながらリフレッシュすることも。

ーー色んな場所で暮らしてきたからこそ分かる事かもしれないですね。

随分遠回りして気づきましたね(笑)。福岡と一口に言っても、糸島・久留米・浮羽・北九州・大川…ひとつひとつの街にそれぞれの文化がしっかり育っていて、本当に魅力的で面白くて仕方ないです。山を見ても、“あれは〇〇さんの山だな”と感じられたり。全部つながっている感じがすごく好きです。

ーー山と人とをつなぐ架け橋となりながら、今後渡邊さんの活動はどこまでも広がっていきそうですね。

今は、塗料や資材もどんどん新しいものが生まれています。例えば、セラミック系の塗料で漆みたいな感覚で木の表面を塞がず徐々に硬化していく塗料があって、それだと柔らかい国産材を使っても傷が付きにくかったり。新しい商材が続々と出てきているので、そういうものと組み合わせれば木の可能性は広がり続けています。私自身も新しい形での木材の利用法や空間の提案をしていきたいと思っています。

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