「F-LIFE SHIFT story」は福岡に移住してきて暮らしや働き方、考え方などをシフトした人たち(先輩移住者)のストーリーを追った特集です。福岡に来て何が変わったのか、これから福岡で暮らしていきたい・変えていきたいという人たちの参考になればと思います。
福岡を中心に九州全域・関西等で活躍する「木の和(なごみ)設計」。代表の一級建築士・渡邊美恵さんは関西とイタリアで働いた後、現在は福岡県岡垣町で暮らしながら各地を飛び回る日々。戸建ての新築・マンションのリノベーション・店舗までも手がける渡邊さんのテーマは“木の力を借りてなごみの空間を創り上げること”。福岡の豊かな環境が渡邊さんに届けたものとは?
山と人をつなぎたい
ーーお話を伺った場所は渡邊さんが内装を手がけた福岡市中央区のwork&cafe「Ta-Te(ターテ)」。ここまで木がふんだんに使われたカフェは珍しいですね。
そうですね〜。ここは鉄筋コンクリートビルの2階なんですけど、全部スケルトンにして、木造的手法をふんだんに取り入れて創りました。木でフレームを組んでエリア分けしたり丸く切った木のパネルを天井から吊るしたり…。印象的な部分に木を使っています。主な木材は大分県日田市のスギなんですよ。
▲内装を手がけた福岡市中央区のwork&café『Ta-Te』
ーーこれだけ木に囲まれた空間にいると街の中というのを忘れてリラックスできますね。
やっぱり安心感というか心がホッとするのは“木の質感や存在感”が、頭で考える以上に感覚的に伝わるところがあるからじゃないかと思います。事務所の名前の「木の和(なごみ)設計」もそういう部分を表現しようと思ってつけました。実際に私自身も木からなごみをいただいているし、木にはなごみを創る力があるなって思うので。
ーー渡邊さんは建築に『九州の山の木』を使われるそうですね。お施主さんと山に行かれることも多いとか。
そうですね。山の方と使われる方をつなぐのも私の大きな役割だと思っているので、山や製材所さんにお連れするんです。家に使われている木が“ここで育ったんだ”“この人が育てたんだ”というのを体感すると愛着も湧きますし。そうするとお手入れも楽しくなって、変わっていく経年美を楽しんでもらえる。木も喜んでいるんじゃないかなって思うんです。
▲新築戸建てのリビングは床も天井も福岡の木材で。
▲マンションの一室を全面リノベーションして木のぬくもりを感じられる空間に。
がむしゃらに働き続けた先に見えたもの
ーー渡邊さんは北九州市八幡西区のご出身で、高校生の時に今お住まいの岡垣町に移られたとか。どうして建築士の道に進まれたんですか?
子どもの頃から料理や縫い物…何かを作ることが好きで、将来は“衣食住に関わる仕事”がしたいと思っていました。高校時代に進路を考えていた時、友人から面白いところがあると教えてもらったのが「環境設計」という学科がある大学だったんです。建築もやれば造園もやれば都市計画もやれば…っていう面白い学科で“設計”というものを幅広く学びました。
ーー卒業してから今までのキャリアについて教えてください!
大学卒業後は大阪の百貨店の装工事業部に就職して、百貨店の内装やホテル・レストラン・ブティックなどの設計に携わりました。9年間勤めたんですけど、
私は思い込んだらのめり込むところがあって、自分をコントロールできずに働きすぎて体調を崩してしまって…。がむしゃらに働き続けた9年間で、やれることはやったし、少し体を休めて次の段階に行こうと思い退職しました。その後、百貨店に勤めている時に知り合ったイタリアンレストランを経営している会社の方にお誘い頂いて、イタリアで働くことになったんです。
▲大阪・百貨店時代の上司の影響で描き始めた絵。今でも仕上がりのイメージはスケッチを交えて伝えるそう。
ーーなんと!イタリア!
イタリアの情報を仕入れて繋がりを持ってくれたら…というご依頼で。本当にありがたいお話でしたね〜。それから1年間イタリアのミラノに行かせてもらったんです。イタリア語もしゃべれなかったんですけどね(笑)。厨房機器や家具・インテリアの展示会を見てまわって仕入れた情報を、日本の会社に報告するのが主な仕事でした。
ーーその後帰国し、建築士として独立した渡邊さん。再び転機が訪れたとか。
独立してからペースをつかむまでに力んでしまって、また体調を崩してしまったんです。こうなるとやっぱり私の働き方に問題があるのかなって…。夢のためにギリギリ頑張っている状態だったので、無理を重ねていたんでしょうね。体が“しんどい”って言っているなら一旦地元に帰ろうって決めて、福岡に戻ってきたんです。
▲自宅のそばには樹齢の長い大木も多く、日常で木のなごみを感じる日々。