【博多祇園山笠とは】“静”と“動”の男たちの祭りが熱い!初心者のための博多祇園山笠案内(前編)

6月になると、博多の街はどこか浮き立つような表情を見せはじめます。注連縄や提灯、巨大な「飾り山笠」がつくられる白い布張りのテントを目にされた方も多いでしょう。“山笠のぼせ”の男たちの熱い季節がはじまります。

今年で777年目を迎える『博多祇園山笠』。国の重要無形文化財であり、2016年にはユネスコの無形文化遺産にも登録された博多っ子が誇るお祭りです。
絢爛豪華な飾り山笠と、山笠を舁(か)き粋な水法被(山舁きの正装)を身につけた男たちが前の山を追う勇壮な姿が印象的ですが、実際のところはあまりよく知らない、という方もおられるかもしれません。

そこで今回は、祭り準備もお忙しいさなか、博多祇園山笠振興会本部員広報と土居流(どいながれ*)総代を兼任される正木研次さんと、福岡市役所のまつり振興課長・田畑安夫さんに博多祇園山笠の歴史や見どころ、魅力や今後について語っていただきました。

*流:博多独特の自治組織。豊臣秀吉の太閤町割りを基準として筋ごとに区分けされ、現在は西流、千代流、恵比須流、土居流、大黒流、東流、中洲流の七流がある。

鎌倉時代から続く奉納神事

ー博多祇園山笠とはそもそもどういったお祭りなのでしょうか?

正木さん:聖一(しょういち)国師というお坊さんが疫病を払うため施餓鬼棚(せがきだな:輿のようなもの)に乗り祈祷した水をまいて回ったことから始まったと言われています。それが仁治2(1241)年と言いますから、鎌倉時代のことですね。
現在は博多の総鎮守である櫛田神社に奉納される神事として、毎年7月1日から15日までの15日間執り行われます。博多の町を守る祭りとして我々にとって欠かせないものなんです。
1年が山笠(やま)に始まり山笠で終わる私たちにとっては、神事がすべて終わった7月16日からがまた新たな1年の始まりです。1年の終わりは大晦日ではなく、山笠の最終日の7月15日という感覚が強いですね。
博多祇園山笠は“静”と“動”の祭りと言われます。装飾に贅を凝らした「飾り山笠」と、町中を奔(はし)る「舁(か)き山笠」。江戸時代までは高さ15メートルほどの山笠をゆっくり舁いていたものが、明治時代に電線に当たり危険だということから、町中に設置された山笠を観て楽しむ“静”の「飾り山笠」と、各流が前に出発した山笠を追い競い合う「追い山」に代表される“動”の「舁き山笠」に大きく分かれました。

ー「やまをかく(山笠を舁く)」というのは博多独特の表現ですよね。

正木さん:舁き山笠には車輪などは付いていませんし、お神輿のようにヨイショと背負うものとは異なります。追い山では舁き手が山笠を担いで奔るのですが、それは背負うや担ぐではなく、「舁く」なんです。肩の上に乗っけて首で棒を真ん中に押し込んでいくような感じですね。現代ではほとんど使われませんが、「駕篭をかく」といった表現があるように、2人以上で肩に物を乗せて運ぶことを指し、そこから山笠の棒を肩に乗せて奔ることを「舁く」と言うようになりました。
舁き山笠の重量はおよそ1トン。その山笠をだいたい26人から28人ほどで舁き、30分ほどで5kmを奔る「追い山」の迫力は、ちょっとほかで見ることはできません。
もちろん山笠は、舁き手だけでは動きません。表(進行側)の「先走り」や「前さばき」、かじ取りを行う「鼻取り」、山笠に上がって舁き手を鼓舞する「台上がり」、見送り(後ろ側)の「後押し」(文字通り山笠を前に進めるために後ろから押す)といったそれぞれが自分の役割をまっとうすることで、速く、安全に奔ることができるんです。

追い山開始前の一瞬の静寂を見逃すな

ー神事はどのように進められるのでしょうか。

正木さん:祭りの本番は7月1日の注連(しめ)下ろしという、舁き山笠に参加する七流の各町で笹竹を立てて注連縄を飾り、町内を清めるところから始まります。旧暦に従って6月1日から注連下ろしをするところもありますから、博多の町は6月から祭りの雰囲気に包まれますね。

▽ 7月1日、注連下ろしが終われば山笠に神様を招き入れる「ご神入れ」が行われ、いよいよその年の「飾り山笠」がお披露目されます。市内14カ所に、一ノ谷合戦や蒙古襲来といった故事に題材をとったり、アンパンマンやゴジラなどの現代の風物を取り入れた山笠が飾られ、博多人形師や山笠大工たちの腕の見せどころです。ヤフオクドーム前の飾り山笠にはソフトバンクホークスの選手や監督なども登場し、「似とる」「似とらん」と盛り上がったりしています(笑)
当日の夕方には、流ごとの当番町と流全体の世話役がひと足早く箱崎浜へ向かい、清めの砂「お汐井」をとる「お汐井とり」を行い、身を清め安全を祈願します。

▽ 9日には舁き山笠の参加者全員で流ごとに箱崎浜までお汐井をとりに行き清めの砂を手にします。

▽ 10日からはいよいよ舁き山笠の登場です。この日は「流舁き」で、流の区域ごとに山笠を舁いて回ります。祭りの主役が飾り山笠の“静”から舁き山笠の“動”に変わる日です。

▽ 11日は「朝山」と「他流舁き」が行われ、唯一朝と夕方の1日に2回山笠が舁き出されますよ。

▽ 12日は「追い山ならし」。七流がこの年初めてそろって行う「追い山」の予行演習ですね。本番さながらの迫力での、櫛田入り(櫛田神社の境内約112メートルを清道旗を回って駆け、博多の町へ出るまでの間)ののち、本番より1キロ短いコースを駆け抜けます。

▽ 翌日の13日のみ、山笠が商人町の博多部を出てかつての城下町・福岡部へ向かいます。福岡市役所前に各流の舁き山笠が一堂に会しますので壮観ですよ。平日などでもこのときばかりは仕事の手を休め、見に出てくる人も多いですね。「集団山見せ」の舁き山笠には、特別に地名士(地元の政財・教育界の名士など)が台上がりでき、福岡県内の財界人の間では、台上がりに選ばれて始めて一人前とも言われています。

▽ 14日は再び「流舁き」となり、本番直前ならではの熱気が感じられます。

▽ そうして15日午前4時59分。大太鼓の合図とともに一番山笠(今年は西流)が櫛田入りを披露します。「博多祝い唄」を歌い、博多の街に飛び出していく一番山笠に続き、二番山笠が6分後に、三番山笠以降が5分おきに出発。5kmの道のりを須崎町の廻り止めまで奔り抜けます。

ー見どころはやはり「追い山」ですか?

正木さん:“男の熱気”ですね。特に追い山がスタートする直前、「山止め」で出発を待っている瞬間。ざわついていた空気が張り詰め、5秒ほどシーンと静まり返るんです。その、これからエネルギーを溜め込んで爆発しようとする張り詰めた一瞬の空気。そこはテレビ中継などでもある程度伝わると思いますが、独特の熱をはらんだ空気感は見どころのひとつだと思います。
また、山笠を5km舁いていき、最後の廻り止めにたどり着いた、達成感に満ちた男たちの顔は、祭りをずっと見ていた方に「涙が出た」と言われるほど感動的です。
それから、水法被や手拭い(てのごい)にもぜひ注目してみてください。東、千代、西流のように統一法被のところもあれば、土居、大黒、恵比寿のように町ごとに違う法被もありますし、山笠独自の締め込みなどの姿を楽しみにされている方もおられますね。

田畑さん:舁き手が走りながら山足を止めずに交代していく光景も見事ですね。基本的に舁き山笠は止めませんので、到着までの時間を縮めるためには、いかにスムーズに舁き手が交代できるかにもかかっています。

正木さん:舁き山笠が完成するのは流れによって違いますが、7月5日~8日に済ますところもあります。舁く練習ができる時は限られています。流れに参加してすぐに「舁き手」になれるものではありません。まずは前走りから始まり、後押し、舁き手も見送りから表へといった段階を踏まなければいけませんし、誰でもかれでもできるものではないんです。山笠の詰所では寝ずの番などもあり、先輩方から舁き方や交代の仕方などを教えていただける貴重な時間になっています。
10日の流舁きは舁手も一年振りということでまずは手慣らしといった感じですが、15日の追い山になれば舁き手も慣れるとともに心身的に疲れも出てきます。声も枯れているのですが、そういった日々の変化も楽しんでほしいです。
また、博多の街全体が祭りモードになってきているので、いたるところで長法被だったり、ごりょんさん(奥さん)の動きだったりも見られます。
ごりょんさんたちも料理を作ったり椅子を並べたりといった裏方のほうで何かしら山笠にかかわってくれています。博多小学校、博多中学校では「ごりょんさん教室」という授業があり、山笠期間中夫不在の家を守り、商売も家事も直会(なおらい:神事の後の食事会)の準備も一手に引き受けるごりょんさんたちのあり方から、さまざまなことを学んでいます。

→続きは後編へ。

【博多祇園山笠】
https://www.hakatayamakasa.com

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