孤軍奮闘する大川市のいちご農家が見据えるのは農業だけではないその先のもの。

日本有数の家具産地として知られる大川市ですが、盛んなのは「家具」だけじゃありません。米、麦、大豆、アスパラガスなど、農業も盛んな土地なのです。特に苺「あまおう」に関しては、県内でも有数の生産量を誇っています。
今回ご紹介するいちご農家の武下浩紹さんは、大川市の大野島にて、農家としてあまおうを生産するだけでなく、ジャムやアイスクリームへの加工・販売も手がけながら、日本中を飛び回り講演活動を行っているという、ちょっと変わった農家さんです。武下さんは、何を目指してこのような活動をしているのでしょうか。お話をお伺いしてきました。

−まずは、武下さんのご出身と経歴を教えてください。

出身はここ、福岡県大川市大野島です。中学生までは大川市にいましたが、高校は大牟田市の有明高専に入学したため、15歳で大川市を離れました。高専卒業後は、長崎の三菱重工に入社し、火力発電所のボイラーの設計をしていました。あちこちの発電所へ出張する日々を過ごしている中、姫路で阪神大震災に被災しました。先輩社員と一緒で緊迫した事態に徹夜の復旧工事にあたりました。大変貴重な体験をさせていただき、この時に損得を超えた仕事への誇りを先輩の後ろ姿に学ばせていただきました。ただ当時の私は未熟で仕事への誇りもよく理解できずに上司への不満を募らせて25歳で辞めてしまいました。そのあと、商品先物取引の会社に勤めました。目に見えないものを売る金融商品の世界は、僕にはとてもハードでした。一気に財産をなくしたり、人生を狂わせる人を近くで見るのは、本当に辛くて、耐えられなくて。「自分の仕事は人の役に立っているのか」「命の価値って何だろう」と自問自答していました。実は、僕の実家は農家なのですが、子どもの頃からずっと農業が嫌でした。でも、この時に初めて、形のないものを売る商売よりも現物取引の世界の方が気持ちよく働けると思ったんです。そして、農産物の素晴らしさ、父のやっている農業のすばらしさに気がついたんです。そして、農業をやろうと決意し、大野島へ戻りました。

−ご実家は、いちご農家だったんですか?

いえ、実家はもともとイグサ農家でしたが、僕が高校生の頃にトマト農家になりました。ですので、僕が大野島に帰ってきたときは、まだトマト農家でした。 就農して3年はトマトを作ったんです。 しかしうまく軌道に乗せることができませんでした。そこで苺の成功事例が近所にあったので、一大決心して、いちご農家へとシフトしたんです。

−現在の仕事はどんなことをしているんですか?

あまおうの栽培やあまおうを使ったジャムやジェラートなど、加工品を販売しています。農家は本来であれば、作った農作物を全てJAに納め、自ら販売することはしません。しかし、僕は平成18年にJA苺部会を退会して『楽農ファームたけした』として独立したので、現在はお客様に直接いちごや加工品を販売しています。

−なぜ独立したんですか?

JA苺部会在籍中は、たくさんの先輩方に可愛がっていただき、最善を尽くしてきたことは、今でもいい経験ですし、それがあるからこそ今の僕がいます。でも、大人数の組織の中で、ちょっと人と違うことをすると反発がある。それは前職でも同じでした。色々考えた末に、組織に頼るのではなく、自分ひとりでやっていこうと決意し、平成18年にJA苺部会を辞めました。
今までJAに頼っていちごを販売してもらっていたので、ツテも販路も全くない状態でのスタートでした。 はじめはヤフーオークションでいちごを販売していました。まずは100円で出品してみたら、なんと100円で落札されてしまったんですよ(笑)。もう、こればっかりは仕方がないから、赤字覚悟で送料1,000円だけお客様にいただいて送りました。そうしたら、お客さんもびっくりして「これは、おかしい!こんなに美味しいイチゴを、こんな値段で販売してはいけない」とすぐ電話がかかってきました。そして、“いちごは美味しいんだから、もっとこうしたらいい、ああしたらいい”と、さまざまなアドバイスまでいただいて。お客様がお客様を紹介してくれたりして、なんとか今へとつながっています。

−武下さんは、農業だけでなく講演活動も積極的に行なっているとお伺いしました。その理由を教えてください。

現在、プロスピーカーという資格を取得し、全国のあちこちで講演をさせていただいております。話している内容は、自分が今まで経験してきたことが中心に、いかに限界を突破して行くか、限界を突破した先に成長があるというような内容ですね。JA苺部会をやめて、いざ独立してみたものの、実は、経営は赤字続きで、どん底状態でした。そんな時、人材育成に特化した会社に出会い、経営や人材育成について学ぶようになりました。この時に感じたのが、伝達力の大切さです。美味しいいちごを作れば売れるはず、いい商品を作れば売れるはずと思っていましたが、違うんですよね。商品の良さ、作るプロセスはもちろん、こだわりや自分がどんな想いで仕事に取り組んでいるかを伝えることの大切さに気がつきました。
そこで、2017年2月にプロスピーカーの試験に挑戦し、合格。そこから、講演活動をするようになったんです。今年の2月には、国を代表してオマーンに呼ばれ、そこで講演もしてきました。プロスピーカーになり、そこから世界がガラリと変わりました。今までいちごを売ろう、売ろうとしても売れませんでした。でも、自分の失敗や経験から得たことを皆さんにお話しすることで、僕の商品にみんなが興味を持ってくれ、いちごが売れるようになってきました。

−講演活動を通じて、伝えたいことはありますか?

学生時代にいじめられた経験から、僕はずっと自分のふるさとである大川市が大嫌いでした。弱い自分のことも嫌いでした。でも、プロスピーカーとしての学びを通じて、今までの自分の辛い経験こそ宝であるということに気がつきました。そして、この経験を様々なところで伝えることで、僕のように辛い思いをしてきた人たちに「みなさんの経験は宝なんだよ、その経験があるからこそ強くなれるし、大きく成長していけるんだよ」ということを伝えて行きたいんです。
そして、大川市にも恩返しをしたいと考えるようになりました。大川市という小さいまちの農家でもできるということを通じ、日本中に大川のことを知ってもらいたいと思っています。

−なるほど、熱いですね!現在、新たな取り組みも始めているとお伺いしましたが、そのことについても教えてください。

今考えているのは、『ビッグランドプロジェクト』です。いちご農家は、青果が収穫できない6月から11月まではオフシーズとなり、収入の確保が難しいんです。従来通り家族経営であれば気にならないかもしれませんが、このような状況だと新規就農者はもちろん、いちご農家を継ぎたいという人も減っていく一方です。そこで知ったのが、「エアドーム」というものを採用したいちごの栽培です。
エアドームは、既存のハウスと違い、台風などの自然災害に強く、季節に関係なく、いちごの栽培に適した環境を作ることができます。これなら1年中いちごを栽培・収穫・販売ができ、収入が安定できます。そして、ここ大川市に、日本中、いや世界中から研修にきてもらい、ここで身につけた技術を広めていって欲しい。このようなことができれば、大川市が、大野島が、人材育成の町としても成長できるのではないかと考えています。そして、ここで成功事例を作ることができれば、日本の農業が活性化し、国力そのものに繋がると信じています。この計画を実現するためには、莫大な費用もかかるし、たくさんの方々の理解や協力を得ないといけません。今すぐには無理かもしれませんが、絶対に叶えたいと思っています。

たくさんの失敗や辛い経験を乗り越えてきた武下さん。いちご栽培を超えた先に見据えるのは、周囲の人の成長や幸せです。そのため掲げた大きな目標は、人から見たら荒唐無稽に映るかもしれません。でも、そんな武下さんだからこそ、周りにはたくさんの応援団が付いています。武下さんの今後の活躍から、目が離せません!

【楽農ファームたけした】
http://www.takeshita-farm.com
福岡県大川市大字大野島427-1
TEL:0944-87-8133
FAX:050-6865-6863
MAIL:rakunoufarm@happy15.jp

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