【F-LIFE SHIFT story vol.10】地元の縁からつながった元アップル社のデザインエンジニアの糸島暮らし。

「F-LIFE SHIFT story」は福岡に移住してきて暮らしや働き方、考え方などをシフトした人たち(先輩移住者)のストーリーを追った特集です。福岡に来て何が変わったのか、これから福岡で暮らしていきたい・変えていきたいという人たちの参考になればと思います。

「まずはコーヒーをどうぞ」
糸島市の山手側の集落で暮らすウェバー(上葉)・ダグラスさんはそう言ってエスプレッソ・マキアートを淹れてくれました。
2018年中の発売を目指しているという手動のグラインダー(コーヒー豆を挽く機械)の試作機で挽いた豆を使ったエスプレッソは、苦味も酸味もほとんどないすっきりした味わい。
思わずホゥっと息を吐きながら、「美味しいですね」と口にしていました。

アメリカのカリフォルニア州出身のウェバーさんは、アップル社で主にiPod/iPhoneの開発にプロダクトデザインエンジニアとして関わり、2007年からはアジア圏のプロダクトデザインリーダーとして日本に赴任。2014年に独立し、革製品やiPhone用のストラップなどを取り扱う自身のブランド『カマキリワークショップ』と、アメリカ在住のパートナーと立ち上げたグラインダーなどのコーヒーに関わる製品を製造・販売する『Lyn Weber Workshops(リン ウェバー ワークショップ)』を事業展開しています。
現在は、糸島市の山奥にある60人ほどの集落でパートナーのナタリーさんと1歳4ヵ月の息子さんと暮らしています。
世界の最先端企業から糸島の山手の集落の生活へと、大きくライフスタイルを変えたウェバーさん。これまでの経験や糸島移住後の生活、今後の夢などを語っていただきました。

−とても素敵なご自宅ですが、かなり山手に入り込んだ集落ですよね。どうやってこの土地と出合われたのでしょうか?

この土地とは20年ほど前に出合いました。陶芸に興味があり、九州大学に文部省(現・文部科学省)の奨学金で1年間留学したのですが、こちらの集落で窯を持っている方が自由に使わせてくれるというので、ほとんど住み込み状態で過ごしました。その人が日本の親父みたいなものですね。いまも窯を使わせてもらっていますが、いつか余裕ができたらここに家を建てて暮らしてみたいとその頃から思っていました。

−いつから日本に興味をもたれたのでしょうか。

僕はアメリカのロサンゼルス郊外で生まれ育ったのですが、そこは日本人の駐在員が多く集まっている地域で、一番仲が良かったのも日本人でした。彼は家族と帰国したのですが、彼のお祖父さんお祖母さんの家が九州の熊本にあり、11歳か12歳のときに初めてそちらを訪れました。いい思い出です。日本語は彼のお母さんから習い、大学に入ってから本格的に勉強しました。スタンフォード大学と京都大学は交換留学が可能でしたので、1年ほど京都でも暮らしましたよ。
大学では機械工学を専攻し、学生時代にアップル社でインターンを経験しました。そのときに入社のオファーをもらっていたのですが、それを断って九州大学に来たんです。帰国後アップルからまたオファーをもらったので、そのまま就職して13年ほど勤めました。

−アップル社のプロダクトデザインエンジニアとはどういった職種なんですか?

デザイン寄りのエンジニアですね。アップルでは、プロダクトデザインと機械設計は分かれていません。デザイナーがものづくりのことをわからないといけないし、エンジニアもデザインのことをわかっていないといけない。それを融合したのがデザインエンジニアです。アップルにはデザインだけやっている部署とデザインと機械設計の両方をやる部署があり、僕はその後者でした。

−その後お仕事で日本に来られたんですよね?

もともとアジアにないプロダクトデザインのリーダーの1人目として、2007年に来日したんです。東京六本木にオフィスがあったのですが、福岡市にも家をもっていて、週末福岡に帰ってくるような生活でした。
2014年の11月に起業をきっかけにアップルを退職しました。ずっと独立はしたかったのですが、なにをつくって誰とやるのかが決まっていなくて。そんなときにいまの仕事のパートナーであるリンと出会いました。彼はロサンゼルス在住の中華系ジャマイカ人。ハリウッドでCG制作などをやっていたんですが、一緒にコーヒーのことをやろうということになりました。
出会いもコーヒーがきっかけで、彼が先におもしろいグラインダーをつくっていまして、それを買ったんです。買ったものを分解して、これをこう直したらいいといった提案を彼に一方的に送りました。そこから会話が始まり、現実的に費用面などを計算し、やっていける目処が立ったことで会社を立ち上げました。設計・デザインはすべてこちらで行い、実際の製作は外部に委託しています。

−おふたりの「美味しいコーヒーを提供したい」という思いから始めた事業ということでしょうか。

それよりも、「もっとよくできる」「欲しいけれど手に入らない」ものを自分たちでつくるのがわれわれの出発点なんです。
新しい製品が出るときは、既存のメーカーから発売されるので、革新が盛り込まれていません。ゼロから考え直すということをしないんです。われわれはコーヒー業界とはまったく違う業界からきているので、既存のサプライチェーンと違い縛りがありません。問題点の改善から始まっていますから。
つくっているのは高級品ですが、中間業者のマージンがないため、他社との価格の差はあまりありません。オンラインで細部まで見ていただいて、直接購入された方から口コミで広がっていっています。いまの時代にあった売り方をしていけばWinWinの関係になれると思っています。

−ウェバーさんは『カマキリワークショップ』も独自にやっておられますよね。

アクセサリー系は自分が欲しかったものを以前からつくっていて、それを事業化しただけです。自分のためにつくってきたものを世の中に製品化して出したらおもしろいと思って。
カマキリは昆虫の中で一番人間っぽい動きをするところがおもしろくて、子どもの頃から好きだったんです。ゴロ(音感)も好きだったので、最初はコーヒーのほうの社名にしようと思っていたんですが、「カマキリ」は国際的ではないので、現在の『Lyn Weber Workshops』にしました。日本国内でやるこじんまりとしたビジネスの時に「カマキリ」を使用しています。

−糸島にはいつ移られたんですか?

1年ちょっと前です。土地自体は6年ほど前に購入していたんですが、すべて藪でしたので、整地から始めました。
フランス人と日本人のハーフのパートナーであるナタリーとは3年ほど前に福岡で知り合いました。ふたりともまだ福岡市内に住んでいたのですが、こちらに連れてきて、温室や畑を見せていずれこういった暮らしがしたいと話したら、すごく共感してくれて。一緒に手を動かしてくれる人で、ふたりともロサンゼルスとパリという都会っ子だけど、こういう自然の多い場所が好きだという共通点もあり家族になることを決めました。
家の基礎を打った時点で彼女の妊娠がわかり、設計をかなりやり直しましたが、できあがる前で良かったです(笑)。下の階をアトリエにしていて、今後は2階にあるオフィスも下に移す予定です。外の温室もずっと手を加えていて、完成にはまだまだ時間がかかりそうですが、少しずつやっています。

−こちらでの暮らしはどうですか?

アップルに勤めているときは、8割方出張でホテル暮らしだったんです。子どもの成長にとって大事な時期に家にいられるのは大きいですね。それはいまの働き方・暮らし方だからだと思います。
こちらは60人しかいない集落で、若い人が少ないので良くしてもらっていますね。アトリエなどを持っている糸島在住の友達とは集まる機会は少ないですが、時々うちで集まってご飯をつくったりバーベキューをしたりもしています。
自然そのままの中で暮らせる良さがありますね。ADSLのみで光回線がないのは大変ですが、インターネット以外の利便性は悪くないです。朝出て台北の工場に昼前に着けるなど、福岡空港との距離もいいです。福岡市内もすぐで、街と田舎のいいバランスが取れるのは、福岡という場所自体の魅力でもあると思います。

−今後の夢や目標を教えてください。

夢はたくさんあります。まずは会社を安定させること。あと、自宅に関しては、終わっていないので完成度を上げていきたいです。
子どもは自然と共に暮らせる子にしたいですね。自然への敬意をもって、小さい頃から野菜はどういうふうにつくられるのか、いつが時期なのか、そういったことを肌で感じられる子になってほしい。
とりあえずいまはどこかに行こうとは思わないし、どこかに行くにしても片足はずっとここに置くことになると思います。家族はパリだったりアメリカだったりですから、気軽に出られるようにはしたいです。これから子どもが大きくなるにつれ、またライフスタイルも変わってくるし、やりたいことでも変わると思いますが、拠点の1つはずっとここに置きたいと思っています。
こちらでの暮らしは、それなりに大変なこともあるけれど、お勧めですよ。

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