【F-LIFE SHIFT story vol.05】定年間近で脱サラ起業。リアルな現実とこれからの理想とは。

「F-LIFE SHIFT story」は福岡に移住してきて暮らしや働き方、考え方などをシフトした人たち(先輩移住者)のストーリーを追った特集です。福岡に来て何が変わったのか、これから福岡で暮らしていきたい・変えていきたいという人たちの参考になればと思います。

夢追う想い

食べる通信』というユニークな情報誌をご存じですか? 「各地で食べものをつくる人を特集した情報誌」と「その人がつくった食べもの」がセットで、2か月に1回届く“食べもの付き情報誌”です。
この11月に福岡版の『ふくおか食べる通信』を創刊した編集長の梶原圭三さんは、グローバルな大手メーカーをやめて、地元福岡へUターン。全くの異業種から、この世界に飛び込みました。九州北部豪雨、家族の大反対、年収は激減…それでもひるまず“夢”を追いかける梶原さんの思いを伺いました。

−『ふくおか食べる通信』は、とても面白い企画ですね。梶原さんは福岡出身で、サラリーマンだったと聞きました。出版か農業に携わっていたのですか?

梶原さん:いえいえ、全く違う仕事をしていたんですよ。私は福岡県朝倉市の出身で、福岡で暮らす家族と離れ、東京に単身赴任。情報通信機器メーカーで、新規事業の立ち上げを担当していました。ただ、農業に興味があり、週末に農家さんのお手伝いに行ったり、家族向けの田植えイベントを企画したりして、いつか農業に関わる仕事をしたいなと思っていました。けれど農業一本でやるのは厳しく、何かいいビジネスモデルはないか探していたんです。

−そんな中、『食べる通信』に出会ったのですね。

梶原さん:はい、食べる通信は2013年に『東北食べる通信』からスタートし、現在は北海道から沖縄まで39団体が独自の通信を発行しています。ネットでたまたまこの取組みを知り、創刊者である高橋博之さんの著書やTEDで彼の考えに触れて、私が求めていたのはコレだ!と思ったんです。それで1週間後の昨年11月27日に高橋さんに会いに行き、福岡版を創刊したいと話しました。

−創刊するには、何か条件があるのですか?

梶原さん:食べる通信の各団体は独立採算制ですが、全国の編集部をつなぐ「日本食べる通信リーグ」があります。各地の編集長が集まる場で、事業計画などについてプレゼンを行い、OKをもらわないと創刊できません。私は東京で仕事をしながら、月1回家族がいる福岡に戻ったときに協力してくれる農家さんを探したりして、6月のプレゼンに向けて準備を進めました。

家族の反対

−ご家族は応援してくれましたか?

梶原さん:実は、妻には2月まで黙ってました(苦笑)。仕事を続けながら副業的にできるかもと迷っていたし、受験生の子もいたので。でも、農家さんと話していると「いつ帰ってくると?」と聞かれ、本気度を見抜かれている気がして…。やはり退職して福岡に戻ろうと決意してから、妻に初めて話しました。
まあね、妻には大反対されましたよ(笑)。50歳だから「役職定年まであと5年。それからでいいんじゃない?」と。確かに仕事はおもしろく、退職金をもらえるまで待つのは賢明な選択です。でも、その間に別の人が福岡版を創刊するかもしれないし、私にとっては今しかなかった。妻とはその日、夜中まで話し合いました。結果的に「私が反対しても、どうせするっちゃろ?」と言われた。賛成ではないけど、許してくれたのかなと勝手に解釈しました(笑)。でも今では、最大の応援者ですよ!

−よかったですね、頭が上がらなくなりそうですが(笑)。

梶原さん:その通り。妻は冬にパートすると言ってましたから…。

−もう全力でやるしかないですね。6月のプレゼンはどうでしたか?

梶原さん:100人ほどを前に10分間、事業計画や創刊号の企画をはじめ、自分の思いを語ってOKをもらいました。農業には後継者不足などの課題があるけれど、一般の人は実情を知らないから他人事になっている。私は食べる通信を通して、生産者と消費者が「顔の見える関係」になってほしいと思っているんです。そこから未来が拓けると信じています。

顔の見える関係性

−そもそも、梶原さんはどうして農業に興味を持ったのでしょう?ご実家が農家とか?

梶原さん:私のおじいちゃんは果物屋でした。自分で生産者を訪ねて回り、自ら納得のいくおいしい果物だけを仕入れていた。父も果物屋を継いだけど、私は継がずにサラリーマンになりました。これまで意識していなかったけど、おじいちゃんの果物屋には「顔の見える関係」があったんですよね。それが私の原点かもしれません。

−創刊号は、朝倉市で柿をつくる秋吉さんを取り上げられました。朝倉市は7月の九州北部豪雨で大きな被害を受け、秋吉さんにも影響があったとか。

梶原さん:秋吉さんに何度も会い、企画を進める中で、九州北部豪雨に見舞われました。朝倉には知人がたくさんいるのですが、豪雨を知って、ひとり暮らしの父の次に電話したのが秋吉さんでした。でも、数日は携帯がつながらなくて、非常に心配で…。1週間後に電話がつながり会いに行くと、秋吉さんのご自宅は大丈夫でしたが、畑に行く道がなくなっていて。秋吉さんは自分で重機を使って道を作り、畑へ通い、柿が育つという見通しが立ったのは8月になってからでした。
食べる通信の本部の方からは、創刊の延期を考えたほうがいいのではと言われましたが、朝倉を応援するためにも絶対に11月に間に合わせると誓いました。秋吉さんは被災後も愚痴ひとつ言わず、前を向いて、自分にできることを着々とされている。本当に素晴らしい方で尊敬しています。

−これから数日後に創刊号ができるそうですね。原稿は梶原さんが書かれたのですか?

梶原さん:はい、撮影やデザインはプロに頼んでいますが、原稿は私が書いています。秋吉さんと柿について紹介する特集6ページは、3日間かけて必死で書き上げました。編集の方にチェックしてもらい、ほぼ直しがないまま完成。特集のあとは、柿を使った料理レシピが2ページ、柿畑の1年をイラストで紹介する絵本のような2ページが続きます。

−定期購読は何人お申し込みがありましたか?どんな人が多いのでしょう?

梶原さん:事業計画書では、創刊号は150人を見込んでいたのですが、実際は2か月で400人を超える方にお申込みいただきました。しかも女性を想定していたのに、実際は男性6割、友人が300人ほど。本当にありがたいですね。

−すごい。これだけ購読者がのびた要因は?

梶原さん:とにかくプロモーションを頑張って、Facebookで自分の思いや状況をさらけ出したんです。それを読んだ友人たちが、自分の言葉をのせてシェアしてくれて、さらに広がりました。

−ちなみに、収入はやはり会社員時代より下がりますよね…。

梶原さん:正直なところ、ものすごく下がるどころか、生活も危ういくらいで(笑)。食べものを扱うので、購読者数をいくらでも増やせるわけではないんです。だけど、住むところと食べるものはあるから、どうにかなるかなと。
食べる通信は全国で39団体が発行しているとお話しましたが、そのほとんどは会社の一事業だったり、副業でやられたりしていて、私のように本業としてやっている人はわずかなんです。

−それでも、梶原さんはとても生き生きとされていて、今、ものすごくやりがいを感じて充実した生活を送られているということがひしひしと伝わってきます。

梶原さん:ありがとうございます。心から好きなことができているので、楽しくてたまらないですね。これから創刊号を発送すると、いろんな反響があって、反省・改善することもたくさん出てくるかもしれません。でも、私は死ぬまで『ふくおか食べる通信』をやっていくつもりです。
生産者と消費者の顔の見える関係性を広げていくために、これからイベントなども企画していきます。皆さん、ぜひ応援してください。

「ふくおか食べる通信」
2か月に1度、情報誌+食べもので3,500円(消費税・送料込)
http://fukuokataberu.com/
・2017年11月創刊号のテーマは「柿」
・2018年1月は「梨」を予定(えっ、冬の梨!? ご期待ください)

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