天神明治通り沿いの期間限定書店『Rethink Books本とビールと焼酎と』。ここで毎月第4水曜日、私たち福岡移住計画はゲストをお迎えしてトークイベントを開催しています。
第4回目のゲストはロフトワークの秋元友彦さん。前職で廃校活用施設『IID 世田谷ものづくり学校』の企画室長・広報も務め、クリエイティブの力でローカルやコミュニティを元気にしてきました。今回は「廃校をまちのエンジンにする」をテーマに、活動の内容や想いについてお話いただきました。トークから見えてきた、使われていないものでも使えるようにしてしまう、“秋元さんのエンジン”を、レポートでお届けします。
やりたいことをやって、好きなものを残す
秋元さんの活動はとても幅広く、どれもユニーク。秋元さんを知らない人でも、秋元さんが関わってきたイベントやプロジェクトは知っている方が多いのではないでしょうか。トークでは「〇〇しました、こうやりました」というお話がどんどん飛び出して、聞き手の福岡移住計画・須賀も「…すごい!」と圧倒されます。
大学在学中から様々なアートイベントにスタッフとして携わる。建築設計事務所勤務を経て、民間初の廃校活用施設「IID 世田谷ものづくり学校」に勤務。ワークショップ・イベントの企画を担当後、企画統括・広報、現場責任者としてマネジメントも経験。
2014年、クリエイティブエージェンシーのロフトワークに入社。地域産業とクリエイティブを融合させ、国内外問わずマーケットの獲得を目指すプロジェクトMORE THAN プロジェクトを中心に、行政、コミュニティに関連する業務を担当している。
イベント・ワークショップ等の企画運営を手がける「Wonder for Bridge.LLC」と「LLPスケット」の代表。ふぐ食文化をジャパニーズスタンダードにする事を目指す「世界ふぐ協会」理事。クリエイティブ呑み会「たにま会」発起人。お酒(主に日本酒)を媒介に東京と地域のコミュニティを繋ぐ「だめにんげん祭り」幹部。メビック扇町のエリアサポーターなど、様々なコミュニティに関わる。「世田谷パン祭り」や「二子玉川ビエンナーレ」をはじめ、イベントの立上げや実行委員としての活動も行っている。
さらに、本業の傍ら日本全国を活動拠点とし、スペース活用やコミュニティ構築、イベント企画などを手がける。
大きなイベントなども多いですが、中には野菜直売所を改修してコミュニティをつくるという企画を担当していたことも。年間売上が3,000万円から1億5,000万円に増えたということからも、秋元さん達が仕掛けて生まれた盛り上がりが感じられます。こうした活動は、“やりたいこと”をまずやろうと動いてきた結果なんだそうです。
秋元さん:「とりあえずやりたいことを何でも形にしたいなと思ってやっちゃうんですね。やってから考えて、ダメだったら諦めて、また新しいものを始めて。それをどんどん繰り返していくうちに、気がついたら自分が好きなものが残っていきました。そういうものが今はナリワイになっています」
やりたいことをやろうとしても、そこに壁があることもあります。秋元さんはどう乗り越えてきたのでしょうか?「IID 世田谷ものづくり学校」では廃校活用に当初いい印象をもっていなかった地域の方と、時間をかけて関係作りを進めたそうです。
人が楽しめることを考えて、地域に開いていく
「IID 世田谷ものづくり学校」は東京都世田谷区が所有する廃校を活用した、クリエーター向けのワーキングスペースです。株式会社ものづくり学校が運営し、世田谷区から借りたスペースを入居企業にサブリースしています」
秋元さん:「僕が在籍していた当時の話です。廃校となったのは2004年。当初は他に廃校を活用している事例もなかったので、施設の活用の方向性にはあまり良いイメージがなかったんですね。日々のクレーム対応も業務の一環でした。僕たちは地域の人たちにとって “異物がやってきた”みたいな感じだったんです。静かに暮らしていたのに、よく分からないクリエーター(その当時は市民権が薄かった)たちが入ってきて街を変にしちゃうんじゃないかと。さらに運営するのは株式会社なので“一企業に利益を生ませるために学校を貸し出すとは何事だ”と。そこで説明会は開校前に何回も開かれましたが、結局地域の理解を満足に得られないままスタートすることになりました。だからこそ、どんどん地域に開いていったんです。最初の5年間は、その距離を近づける為の活動を行う期間でした。
ワークショップは多い時で年間約500本は開催していました。どんな企画をすれば世田谷の人たちに楽しんでもらえるか、とクリエーターと議論を重ねましたし、「GREEN DAY」を中心に大きなイベントも年に4回程度開催しました。世田谷は緑が多くて空から見ると28%くらいが緑なのですが、さらにそれを33%まで引き上げようという取り組みを世田谷区が行っている。それとの連動も視野にいれたイベントで、緑に触れて考えたり、ワークショップなどを開催して地域の人に参加してもらいました。
こういった取り組みを通じて地域に開いていったんです。学校の中でカフェも運営しているのですが、地域の人たちにも憩いの場所として使ってもらえる空間になりました。
経済面でも地域に貢献できていたと僕は思っています。「世田谷ものづくり学校」の入居条件は住所をこの学校に移すことで、入居企業の全体収入は当時の公表では大体20億くらい(間違っていたらごめんなさい)。世田谷区に結構いい税金を落としていたのでは、と思います。公的な場所を借りているので、事業のお金は僕たちの給料なども含めてガラス張りにして開示しながらやっていました。
そうした活動をスタッフ6名くらいで対応。企画や広報をしていろんな地域とつなげたりするだけでなく、管理人の仕事もです。トイレが詰まったら業者さんを呼ぶとか、電球が切れたら交換するとか、全部やっていたんです。おかげで、いろんなことにチャレンジできるということに気づけました」
それから秋元さんはさらに「隠岐の島ものづくり学校」「三条ものづくり学校」と姉妹校の立ち上げを担当。地域での活動の幅を増やしていきます。
ロフトワークのリソースを武器に、さらに大きく仕掛けたい
秋元さんはその後ものづくり学校を辞めて、既に立ち上げていた「Wonder for Bridge」に本格的に参加します。それと同時にロフトワーク代表・林千晶さんに出会い、一緒に働いてみたいと言う思いから、ロフトワークに入社します。
※http://wonderfor.com/index.html
秋元さん:「ロフトワークはものすごいリソースを持っていたので、これをうまく使うことが出来たらいままでとは違った軸でもっと楽しめるんじゃないかと思いました。
代表の林には“何を一緒に出来るかわからないけど面白そうだから、部署とか関係なく入ってよ”と言わて。それで僕の肩書きは“無所属”なんですね」
秋元さんが今ロフトワークで進めているプロジェクトは、長野県諏訪市の精密加工事業者が持つ“世界に誇れる微細で繊細な技術”を伝えることに取り組んでいます。(既にWEBサイトが公開されています。)
ものや技術はすごいのに、知られていない。それらを欲しい人に届けたい。そういった“もったいないな”という気持ちは、「世田谷ものづくり学校」の廃校活用から共通しているのかもしれませんね。秋元さんがロフトワークで最初に取り組んだプロジェクト『MORE THAN プロジェクト』も、知られていない日本の人や技術を世界に届ける導線をつくるというもので、3年を迎えた現在も進行しています。
秋元さん:「『MORE THAN プロジェクト』は経済産業省のジャパンブランドプロデュース支援事業です。この企画で僕はたくさんの壁と立ち向かうところから始めました。
経済産業省の担当の方からは“前例がない”と言われて「NO」という判断をたくさんもらいました。それでもプロジェクトの効果を伝えて説得し、前例をどんどん積み重ねていきました。そしてプロジェクトでかけるお金はできるだけ事業者のためのクリエイティブワークに使おうというやり方にしました。たとえば、海外の展示会をロフトワークが取材する時には大勢で行かずに、本当に価値を作れる人だけで行くというようにして経費を調整し、圧縮した分をクリエイティブの制作費に回すなど。すると担当の人たちの意識もどんどん変わって、任せてもらえるようになったんです。2年目にはやりたいことをほぼできるようになりました。
現在の『MORE THAN プロジェクト』のWEBサイトは、中身はデータベースなんですけど、“記事”からその情報につながるようにしています。旬の記事にデータベースの直リンクを貼っていくのですが、その際に相手との関係性をちゃんとつくるところからやりました。だからネットワークがどんどん増えています。
このプロジェクトは、来年度以降の補助金がなくなっても、自社のオウンドサービスとして展開していくことを意識して作っています。ロフトワークがもともと得意なこと、できることをベースに設計しているんですね。9月にオープンして、これまで登録したデータは約140。これを年度末までに800位に増やすために今ドライブをかけています。須賀さんやみなさんにも相談させてもらい、福岡での展開も進めていけたら嬉しいです。
とはいえ実はまだ試用運転段階で、半年後くらいにはロフトワークが自分たちのサービスとして使えるようにするために、リニューアルを行う予定です。そして産地とのつながりをもっとリアルに作っていければと思っています。このプロジェクトをやっていることで一つのプロジェクトで得られる価値以上の可能性を感じており、積極的なチャレンジ(投資)をしても十分に回収できると考えています。こうした仕掛けづくりを、僕たちが中心になって進めています」
自分のスタイルは自分でつくる
こうしていろんな人と関わって仕事をする秋元さんですが、最初は人付き合いは得意でもなく、失敗も多かったそうです。しかしやりたいことをやるために、そんな“自分の壁”も乗り越えてきました。
秋元さん:「もともと人の前で話すのは大嫌いだったんです。人と関わるのも苦手。自分一人で完結できることが好きで、新卒では建築の世界に向かいました。でも建築の仕事って、コミュニケーション力が相当必要なんですね。そこでどうすればできるようになるか考えて、人と話すために必要な技術を自分でつくっていきました。誰かから教わるというのではなくて、自分で考えて、自分で取り入れて、仕事のために自分のスタイルを作ってきました。伝え方に定評のある著名人の番組を録画して2倍速で見て、話し方を研究したりして。
若い頃はあまり真面目に勉強もしていなくて、生活のためにアルバイトはいろいろして、当時通っていた専門学校にはあまり通っていませんでした。それでも成績は良かったんですね。先生をはじめ、うまくまわりを味方につけて効率よくこなしていた。自分が生き抜く術を探すのは、昔から得意だったかもしれないですね。それが最近は良い方に働いていて、いろんなプロジェクトにつながっているような気はします。
僕は、自分は大したことができるとは思っていません。僕にできるのは想いを伝えて人を口説くこと。なので、出来ないことは人を頼るようにしていて、チームづくりの精度には自信を持っています。プロジェクトに必要にな人たちがすぐに思い浮かぶんですよね。でも最初は失敗の連続でした。チームを作っても機能しなくて終わっていくということも何度もあって、トライアンドエラーを繰り返してきた結果です」
得意じゃなくても、失敗をしながらも、やりたいことに取り組んできた秋元さん。これからはみんながやりたいことに挑戦できる「場」づくりを考えているそうです。
みんながやりたいことをやる「妄想フェス」をやりたい
秋元さん:「僕はいずれ“妄想フェス”というのをつくりたいと思っているんですよ。やりたいことを勝手にやりたい人がやって、それを楽しみたい人が勝手に集まるお祭り。その場所はもう確保しているんです。あとは仲間を集めて、数年後にやれたらいいなと思っています。
そしてそんな学校もできたら、すごく楽しいだろうなと思います。実は今はまだ言えないんですけど、いくつか個人で関わっている廃校活用で企画の一端を入れていくことを勝手に企んでいます」
いかがでしたでしょうか?これからの暮らしや働き方のヒントになったのではないでしょうか。
次回のイベントは11月23日(水・祝)です。お楽しみに!