魅力的なお店、また行きたくなるお店って何だろう?
それは提供される商品(サービス)の質?もちろんそれもあると思います。でも“誰が手掛け、どんな想いやコンセプトでやっているのか。その人に会いたいから行く、その人が手掛けたお店だから行く”これが一番の動機になるのではないかと思うのです。
本コーナーでは単なるお店の紹介ではなく、“人”にフォーカスしてお店を紹介していきます。
耳納連山の麓、うきは市流川地区。ぶどう畑や柿畑の間に民家が建ち並び、いかにも昭和を感じさせる長閑な風景が広がっています。その家並みの中、1軒の「昭和の民家」がリノベーションされて元エンジニアの男性がはじめたうどん屋『うどん不動庵』。静かに、けれど確かにその人気を広げています。柿が色づき始めた鮮やかな初秋の日、美味しいうどんをいただきにうかがいました。
―もともとはエンジニアをされていたとうかがいました。どんなお仕事を?
橋梁の技術者です。例えば、高速道路や大きな橋をかけるという時に、現場に行くわけです。監督仕事や調整役ですね。それで30代の頃、四国の現場に行った時、初めて讃岐うどんと出会って、“うわっ、なんだこの美味さは!”と衝撃を受けたんです。僕はもともと博多っ子なんですが、博多うどんのどこまでもコシが無くやわらかい感じと全く違って、しっかりとしたコシがあって。麺がその一杯の主役なんですよ。本当に驚きでしたね。
―お仕事をされていた頃に、讃岐うどんに出会っていらっしゃったと。
そうです。西日本中心に、全国津々浦々の現場に行っていましたし、うどんも全国食べました。とにかく、あのしっかりと硬い麺がうまかったですね。
―そこから、うどんのお店を始めようと思われたのはどうしてでしょう?
55、6歳の頃だったでしょうか、“自分に出来ることで、商いをはじめられないだろうか”と思った事がきっかけです。僕が勤めていた会社の定年は60歳で、再雇用されたら65歳までは勤めることが出来る。当面の居場所はありましたが、じゃあその65歳以降は気力・体力的に“その後のビジョン”が描きづらくなるかなぁと思いましてね。だったら何か自分で出来ることを気力・体力のあるうちにはじめようと思いまして。同世代の友だちが商売しているのを見て、励みになる部分もありました。それで、会社を退職してからうどんの学校に行き、実技ももちろんですが、半分はマネジメント、つまり心の有り様、情熱、夢をどうして持ち続けていくのかを学びました。
▲『うどん不動庵』の麺。さぬきうどんの系譜。
―心の有り様ですか。そのあたりに、このお店の肝があるようです。ちなみに、その頃に店舗探しもスタートされたのですね。何故、うきはに構えられることになったのでしょう?
福岡県内、宗像・東峰・朝倉・・・このあたりも探しました。でも、これだと思う物件がなかなか無くてね。ここは、ある時ネットでひょいと見つけました。ほんとたまたまです。商圏分析では全くはまらないのだけれど、ここだと思ってね。大きな通りから少し入ったところで、今は駐車場にしている田んぼも1枚ついていてね。ある程度人里に近くて、季節感が感じられる、景色が良い、野菜・果物がおいしい、そして静けさがある。自分がやりたかった店をここでは出来るかなと思いました。そこから始まりましたね。