魅力的なお店、また行きたくなるお店って何だろう?
それは提供される商品(サービス)の質?もちろんそれもあると思います。でも“誰が手掛け、どんな想いやコンセプトでやっているのか。その人に会いたいから行く、その人が手掛けたお店だから行く”これが一番の動機になるのではないかと思うのです。
本コーナーでは単なるお店の紹介ではなく、“人”にフォーカスしてお店を紹介していきます。
会えば元気になれる大牟田の母
上野由幾恵さんは1963年に福岡県大牟田市へ移住し喫茶店を開業。当時大牟田は戦後日本における最大の労働争議とも言われている三井三池争議が終わったばかり。良い時代だったとは言えない頃です。食後に珈琲を楽しむ習慣もないような時代から、55年もの間大牟田で喫茶店を営み続けています。
−なぜ喫茶店だったのでしょう?
福岡市内に住んでいた頃のことです。近所に、とある年配の女性が営んでいる小さな喫茶店がありました。メニューは珈琲だけ。でも若者だけではなくいろんな人が集まって、そのご婦人との様々な会話を楽しむ場所として賑わっていたんです。その空気感がとっても素敵で、私の喫茶店経営の原点になっています。
喫茶店を開業した当時の大牟田は三池争議が終わったばかりで、喫茶店自体ほとんどないような時代。それでも当時から私の中に「こんなお店にしたい」という想いがあったのは、そのご婦人との出会いがあったからでしょう。
−おっしゃっていた“ご婦人との様々な会話を楽しむ場所”はまさにいまの「コーヒーサロンはら」さんのようですね。お店のコンセプトもそういった点でしょうか?
そうですね。それと“老若男女問わず誰もが音楽を楽しめる場所”と言ったところでしょうか。私が子どものころ、家には蓄音器があって音楽を楽しむ環境がありました。それが原点となって、このお店には開業時からグランドピアノを置いています。それは、演奏者もお客さまも音楽が楽しめるようにと思ってのことです。
炭鉱産業が繁栄していたころ、大牟田には沢山の文化が生まれました。その中でクラシック音楽も身近な存在となり、普段からよく聴かれていたようです。だから大牟田の人たちには、音楽を楽しむDNAが刻まれているのではないかと思っています。
この場所にお店を構えているのは、実は今の店は2軒目で、1軒目は17年目のときに火事で燃えてしまったんです。集めていた約3500枚のレコードもみんな、跡形もなく燃え尽きてしまって。それはもう、何も考えられないほどのショックを受ける出来事でした。でも思いがけず、常連客の若い人たちが「店を再開してほしい」と言っていろんな物件を探してきてくれたんです。おそらく私以上に寂しさを感じてくれていたのでしょう。今の店は、その中のひとつでした。彼らの想いも嬉しかったですし、この場所が奥まったビルの2階というのも気に入りました。外の音が入ってこないということは“音楽を楽しむ”ための絶対条件でしたから。
−お客さんに求められるって素敵ですね。お店が無くなると上野さんに会える場所がなくなってしまいますもんね。上野さんは大牟田日本フィルの会事務局も担われているんですよね?
「日本フィル」のオーケストラに大牟田出身の演奏家がいて。東京から帰省すると必ず店に立ち寄ってくれ、音楽談義を交わしていました。そこから、“大牟田で日本フィルのコンサートを”という話が生まれたのです。そうして『大牟田日本フィルの会』が誕生して、コンサートは今年で32回目を迎えました。数知れない多くの方々のご協力を得ながら今日まで続いてきました。
−この55年間を振り返ってみていかがですか?
このお店と音楽のおかげで、私のかけがえのない財産とも言える多くの出会いがありました。喫茶店経営の原点と、音楽を楽しむ原点のどちらも忠実に守りながら、自分の人生を歩んでこられたことは私の誇りです。それは最高に贅沢な時間だったと思っています。今後もいまと変わらず続けていければと思います。先の短い人生になりましたが、今後このオーケストラがどのように大牟田市民に受け入れられていくのか、見続けていきたいと思います。
『コーヒーサロンはら』で時間を過ごすと、お店はもちろん、上野さんの包み込まれるような優しい雰囲気に、どこか時間を忘れ自分の心が整えられていくような感覚があります。きっと「店を再開してほしい」と物件を探していた当時の常連客も同じような感覚だったのではないかと思います。大牟田に行かれる際は是非立ち寄ってみてください。
丁寧に作られたサンドイッチもおすすめです。“やさしい”という表現が何よりもしっくりくる味わい深さがあります。ぜひ、珈琲と一緒に楽しんでいただきたいです。
【コーヒーサロンはら】
福岡県大牟田市本町1-2-19
TEL:0944-53-0426
営業時間:10:00〜22:00
定休日:なし