「F-LIFE SHIFT story」は福岡に移住してきて暮らしや働き方、考え方などをシフトした人たち(先輩移住者)のストーリーを追った特集です。福岡に来て何が変わったのか、これから福岡で暮らしていきたい・変えていきたいという人たちの参考になればと思います。
九州大学伊都キャンパスまで自転車でおよそ10分。豊かな緑に抱かれたのどかな地域に、静かに佇む立派な邸宅があります。そこは築147年の古民家をリノベーションした、九大生向けの学生寮『熱風寮 糸』。東京で大手商社に勤めていた大堂良太さんがご家族で糸島に移住して、2017年9月に立ち上げました。
憧れていた商社マンという仕事を辞めてまで学生寮を始めた理由は何なのか。お話を伺ってみると、穏やかな笑顔の奥には、揺るぎない信念とひたむきな情熱がありました。
−まずは大堂さんのご自身の経歴をお教えください。
私は1982年に熊本で生まれて、九州大学理学部物理学科を経て、総合理工学府大学院を卒業し、丸紅に入社しました。父親が小学校の先生で、自分も物理の教員免許を取ったのですが、社会を知らないまま教壇に立つことにためらいがあり商社へ。東京や名古屋で、化学品部門の貿易や財務経理業務などに関わっていました。
−大手商社なら順風満帆のようですが、なぜ寮をしようと思い立ったのでしょう?
働きながらグロービス経営大学院に通いMBAを取る過程で、自らと向き合い、人と夢を語り合う機会がたくさんありました。その中で、私はやっぱり九州が好きで教育に興味があると再認識したんです。自分の経験を生かして何かしたいという想いがふつふつと湧き、頭に浮かんだのが学生寮でした。
大学時代、私は九大の田島寮と仏青寮に入り、かけがえのない経験をさせてもらいました。どちらも自由で学生の自治組織があったんですが、特に仏青寮は100年ほど前から医学部の教官や学生が、病院にかかることのできない人たちを診療するなど社会福祉奉仕活動を行ってきた会が母体でした。そのため寮生は地域の子に勉強を教えたり、親御さんから子どもを預かってサマーキャンプに連れて行ったりして、“地域や社会に貢献しよう”という精神が受け継がれていました。寮母さん手作りのご飯がおいしく、帰宅すれば「おかえりー」と声をかけてもらえるアットホームな環境も魅力で、2つの学生寮で学んだことは数知れず、今の原点になっています。
−なるほど、心に刻まれた想いが立ち上ってきたのですね。では、九大の学生寮を作るために糸島に移住されたと?
はい、九大の学生寮を立ち上げようと決めて、仕事の傍ら教育系NPO法人NEWVERYで1年間ボランティアを経験。33歳でその法人に転職して、東京にある教育寮のマネージャーを務めながらいろいろなことを勉強して1年後に独立。そして2017年9月、糸島に『熱風寮 糸』を立ち上げました。
母校に恩返ししたいという思いがあり、それがたまたま糸島でした。九大は2018年秋に伊都キャンパスへ完全移転し、約1万6,000人の学生が伊都へ来る。賃貸のワンルームマンションが増えているけど、家賃が高いし無味乾燥で物件が不足している。ちょうどいいタイミングだと思いました。
−素敵な佇まいの古民家ですが、この物件はどうやって見つけたのでしょう?
東京にいるときにネットで検索して不動産会社に問い合わせ、何度も福岡に来て30物件ほど回りました。だけど、なかなか見つからなくて…2016年9月に探し始め、この物件に巡り合ったのはその年の12月25日でした。実際に足を運び現地を見ないと見つからなかったと思います。
ほんとこの物件は、敷地が1,400平米あって、雰囲気がよくて、一目で気に入りました。
ただ、手続きは非常に大変でした。ここは「市街化調整区域」という住宅の再活用が認められにくい地域で、福岡県には「前例がない」と認められず、理解してもらうためにそこでも何度も足を運び、やり取りは数十回にのぼりました。
−「市街化調整区域」はいろいろ規制があり大変だと聞きます。そんな大変な状況を突破できたカギは何でしょう?
最終的には、想いの強さが大事なのかな。何度も挫けそうになったこともありますが、とにかく諦めず「どうやるか」をひたすら考え、建築士や棟梁、糸島市をはじめとした行政の方まで、多くの方々に助けてもらいました。結果、用途変更の弾力的運用が認められ、福岡県内の第1号事例になりました。
定員は8人で、今は男性5人、女性3人が住んでいます。うち1人はノルウェーからの留学生。個室から3人部屋まであって、家賃は2万5,000円から。周辺の相場より安く設定しています。共用のリビング、キッチン、お風呂とシャワーブース、広い庭などがあります。
−満員とはすごいですね。寮生はどうやって集めたのですか?
説明会を開いたほか、駅前でチラシを配ったり、学生寮にポスティングしたり、ここでも地道にですね。おかげで優秀で個性的な学生が集まりました。
はじめは週1回みんなで掃除するという決まりしかなくて、あとは人を泊めていいかとか、リビングに時計を置こうとか、その都度話し合いながらルールを決めてます。LINEグループで「カレーをたくさん作ったから食べていいよ」とか「卵が余ってるから使って」などという話も飛び交っています。
−地域の方の反応はいかがでしょう?
寮のコンセプトは“地域に開かれた学生寮”です。最初に地域の寄り合いであいさつしたときは、「何されるんやろうか?」という目で見られていたかもしれません。
しかし今では寮生たちは地域の草刈りや清掃、行事などに積極的に参加して、喜ばれています。地元の皆さんはオープンであたたかく、「学生も忙しかろうけん、無理して参加せんでいいよ」と気を使ってくださいます。
それにお米や野菜をいただくことも多くありがたいです。去年はもらったイチゴを使って、ケーキ作りが得意な子がクリスマスケーキにしてお返ししたり、落語の得意な子が落語会を開いたり。近くの公民館で寮生が地域の子どもたちに勉強を教える寺子屋もこれからスタートしていきたいと考えています。
寮生にとっては「ありがとう」と言われることが自信になり、「ありがとうございます」と相手に感謝することもたくさん。寮生活を通して、人間力がついていっていると思います。
−大堂さんにも多くの出会いがありそうですね。
そうですね。糸島に来て300人くらい糸島在住の人達に会ったと思いますが、嫌だと思ったことは一度もないです、本当に。とにかく住んでいる人が素敵なんです。そこが糸島の魅力でもあります。移住してきた人も「なにか面白いことしよう」と考えている人が多く、化学反応が生まれているし、大都市じゃないからすぐに実現しやすい環境というのもいいですね。
−この春、2つ目の寮もオープンされたとか。
最近はうちの物件を寮にできないか?とか、何か活用したいと相談されることが出てきました。今は3月に2件目となる学生寮『熱風寮 馬場』をオープンしたばかりで、さらに年内に伊都キャンパスの近くに学生の憩いの場、そして伊都菜彩の近くにゲストハウスを作る予定です。これから2年のうちに、あと2・3棟は学生寮を作りたいと考えています。
※「熱風寮 馬場」
−伊都キャンパスに移転し、糸島という地に開かれた寮が増えるのは双方にとっても良いことですね。さらなる将来的な展望はいかがでしょうか?
「住まいの新価値提案」「コミュニティ再創造」「インバウンド×地域ツーリング」を3つの軸として、これらが交わるところで新しい事業を作りたいですね。
住民が持続的に生計を立て、地元に誇りを持ち、住民と学生などの若者がイキイキと活躍するまちづくりに貢献できればと思っています。
大学時代の寮の後輩が、私より先に大手重電メーカーをやめて南阿蘇でゲストハウスを作っていて、「自分の価値が100倍になった」と言っていたんです。100倍かはわからないけど、確かにそうだと実感しています。私もここで行政や地域や学生や起業家など多くの人に会い、皆さんの話を聞き、地域には課題がたくさん転がっているとわかってきました。なのにプレイヤーが少ない。自分にやれることがたくさんあると感じています。
−そこまで熱くさせる大堂さんの根底には何があるでしょう…学生寮や地域への想いでしょうか?
私自身が学生寮に育ててもらい、その素晴らしさを受け継いでいきたい。そして、九大に恩返ししたいという気持ちが大きいですね。
今、九大生の7割近くは奨学金をもらっているそうです。私自身も4人兄弟で、奨学金で大学に通い、格安の寮にお世話になり、アルバイトで生活費を稼いでいました。今、寮生は知り合いの東京の会社から在宅でできるアルバイトを回してもらったりしています。いつか熱風寮で奨学金を創設し、新しい仕組みを作って、学びたい学生を経済的にもっと支えていければと考えています。
若いうちから支え合い、学生も地域の人も支え合い育っていく環境。そんなモデルをここでしっかりカタチにして、広げていきたいです。