この春(2018年)から宮崎県椎葉村ではじまるプロジェクトに、私たち福岡移住計画としても一部お手伝いさせていただきます。そのことに伴い椎葉村にお招きいただいたので、椎葉村の魅力を3本連載でお伝えしていきたいと思います。
椎葉村をめぐった1泊2泊でいただいた食べ物は、昔ながらの生活に深く根づいたものが中心だった。そば、とうきび、ひえ、あわ、大豆、こんにゃく、菜豆腐、しいたけ、たけのこ、ぜんまい、くさぎな飯、猪肉、鹿肉、ヤマメ…。椎葉の人たちが大切に育て、集め、作ったものばかり。都会暮らしではなかなか出会えない、まさに村ならではのごちそうだ。
※初日に伺った『平家本陣』にて。
2015年、高千穂郷・椎葉山地域は「世界農業遺産」に認定された。険しい山に囲まれ、耕地面積は極めてわずかながら、木を活用してしいたけを育てたり、水路をめぐらせたり、棚田で稲作をしたり。さらには、古くから日本各地で行われていた焼畑を今なお続けており、日本で唯一の貴重な事例とされる。焼畑で雑穀を作り、その草で牛を飼い、川で魚、山では猪をとる。大いなる自然を循環させながら、人びとは謙虚に暮らしてきたのだろう。また、五穀豊穣などを願う「神楽」も多くの集落で奉納され、厳しい土地で生活の安定を祈る場として今も大切に受け継がれている。
そんな暮らしに心惹かれて、椎葉村に移住してくる人がいる。そのひとりは青木優花さん。
広島で子どもに絵画を教えていたが、“自然に寄り添う暮らしをしたい。この村で引き継がれてきた暮らしの知恵を受け継ぎ、次の世代につなげたい”と、3年前に引っ越してきた。山奥の小屋に住み、水道は山の湧き水で、料理するかまどや暖をとるストーブに使う薪は、そこらじゅうにある。「毎日が新鮮で飽きない。クニ子おばばに会って、いろいろ教わるのがすごく楽しくて幸せで」とほほ笑む。クニ子おばばとは日本で唯一、焼畑農業を守り続ける椎葉クニ子さんのこと。大正3年生まれ。山の神に祈りを捧げ、自給自足で自然と共生する彼女の暮らしぶりは、NHKで特集を組まれたり本になるなどして、全国で反響を呼んでいる。
「かてーりって知ってます?」、優花さんに問いかけられた。「かてーり」は、椎葉村に古くから伝わる相互扶助の精神。村の人たちは、家や地域の枠を超えて協力し合う心を受け継ぎながら、スローな暮らしを楽しんでいる。優花さんも村の人たちの求めに応じて、農作業を手伝ったり、しいたけの駒打ちをしたりしながら、村に伝わる生活の知恵を学ぶ毎日。お返しに、野菜をわけてもらったり、家の前に薪がそっと置かれていたり。小屋にお風呂を作ってくれたのも村の人たちだ。お金が必要になったら、土木現場や草刈りのアルバイトすることもある。「村の人たちがみんな家族みたいに思ってくれて。大切にしていきたいものが、ここにはたくさんあるんです」。心満たされる、シンプルで豊かな暮らし。日本人が便利さとひきかえに手放してしまった大切なものが、ここには確かに存在している。
村の中心部、村役場の前にある『中園本店』。村には珍しく、モダンな店構えが目を引く。
代々続く酒屋さんで、お菓子やドリンク、文房具、雑誌などコンビニのような品ぞろえだ。
33年前、京都から村に嫁いできた中園ツナコさんは、夫の店を手伝いながら、ふと興味を持った熊本のパン教室に2年ほど通った。そして9年前、店の一部を改装して、村ではじめてのパン屋をオープン。「トングでパンを取ってトレーにのせる、という買い方を知らない人も多くて、初めはなかなか売れませんでした」。しかし、おいしい焼き立てパンはやがて評判となり、今では夕方前に売り切れるほどの人気ぶり。家族で力を合わせて切り盛りしている。
体に安心な天然酵母にこだわり、毎日40種類ほどの手作りパンがズラリと並ぶ。種類の多さに驚いていたら、「お店の効率を考えたら、もっと種類を減らしたほうがいいんですけどね…」とツナコさん。「でも、村の人たちに、好きなものを選んで買う楽しさを味わってもらいたいんです。村には限られたものしかなくて、普段はあるものを買うだけなので」と秘めた想いを教えてくれた。
さらについ最近、イートインスペースに2000冊の本がそろうミニライブラリーを作った。本は村内外の人たちから寄贈してもらったという。「焼畑や神楽といった村の伝統を、私は引き継ぐことができない。私にできることを考えた結果、このお店を、おいしい・新しい情報が得られる・人が集まりつながれる場所にしたくて」。33年前に嫁がれたときからすると、5500人ほどいた村の住人は半減しているという。
お世話になった村に自分はどんな恩返しをできるだろうか…そんなことを考え続けるツナコさんは、村に新しくあたたかい風を吹き込んでいる。
最後となる次回は、移住者の想いと椎葉村の新しい取り組みをご紹介します。