魅力的なお店、また行きたくなるお店って何だろう?
それは提供される商品(サービス)の質?もちろんそれもあると思います。でも“誰が手掛け、どんな想いやコンセプトでやっているのか。その人に会いたいから行く、その人が手掛けたお店だから行く”これが一番の動機になるのではないかと思うのです。
本コーナーでは単なるお店の紹介ではなく、“人”にフォーカスしてお店を紹介していきます。
福岡市東区・箱崎。ここは日本三大八幡宮のひとつに数えられる『筥崎宮』で有名な、神話と歴史息づく町だ。
9月は放生会、お正月には福岡県民にとっておなじみの三社詣*でたくさんの人で賑わう町でもある。
*太宰府天満宮・筥崎宮・宮地嶽神社の三社に詣でることで、一年の無病息災を祈願する習慣
そんな筥崎宮のほど近くに近年オープンした『筥崎小豆庵』。リーズナブルなお値段ながら、最高級の大納言小豆を惜しげもなく使った上質な和菓子が、近所の住民を中心に評判を呼んでいる。今回、筥崎小豆庵を経営する和菓子職人・田中正己さんにお話を伺った。
−このお店の外観の素敵さにひかれてふらっと立ち寄って、どら焼きのあまりの美味しさにすっかりファンになってしまいました。そもそも、お店を始めようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
田中さん:もともとは長くサラリーマンをやっていたんです。研究開発のような仕事をやっていまして、体を動かしたり手を動かしたりする仕事は自分にとても合っていました。
ただ、年齢が上がるにつれ、異動になり労務管理中心の仕事になっていきました。それは本来自分のやりたいことではなかったんです。
あくまで「モノづくり」が好きな人間だったんです。定年まで勤めるのもいいけれど、「自分のやりたいこと」を大切にしたいと思いお店をはじめました。
−自分の想いをカタチにするため退職されたのですね?
田中さん:50歳のときでした。50までであれば、まだ体も多少なりとも動きますし。会社を辞めた後に、“自分に何ができるのか?”という自分自身の棚卸しをやりました。モノづくりが好きで、お菓子作りが趣味でした。さらに陶芸をやっておりましたので、日本文化と言うものにとても興味があったんです。それらを全部組み合わせると和菓子職人になれるんではないかと思ったんです。
−その想いからこんなに素敵なお店ができたんですね。なぜ、箱崎にお店を構えられたのですか?
田中さん:サラリーマン時代も箱崎の近くで働いていましたし、箱崎の町にも住んでいたこともあります。筥崎宮にも親しみがありました。自分が住んでいる町が好きで、地元で仕事がしたかったんです。福岡は本当に魅力ある場所だと思います。歴史が古く、由緒ある筥崎宮の近くで、筥崎宮にちなんだお菓子をつくっていきたいという思いがありました。そんなとき、この場所を見つけたんです。元は古民家だったので、それを活かして大正レトロな感じにしたかったのですが、戦後の物資難の時代に建てられたもので あまりしっかりした家ではなかったようなのです。
なので、修繕するより建て直すほうが早いということになり、いまの佇まいになりました。
−そうだったんですね。では、お店のコンセプトは箱崎に因んだものになるんでしょうか?
田中さん:もちろんそれもあるのですが、強いて言うならば「日本文化の継承」です。戦後、日本は大きく変わりました。もちろん便利になったこともたくさんあるのですが、それと同じぐらい 昔ながらの古きよき日本文化も失われてしまっていると感じました。
たくさんの人に日本文化の面白さや奥深さを、お菓子を通して気付いてほしいし、また伝えていきたいと思っています。かくいう僕も、まだまだ勉強中なんですが(笑)。
−お客さんはどのような層の方が多いですか?
田中さん:ご年配の方が多いかもしれません。箱崎は歴史ある古いまちですので…けれども若い方も最近増えてきている気がします。最近このあたりに新築のマンションが建ち始めていますので、お子さん連れの若いお母さんも増えましたね。そして、「美味しかったよ!」と言ってもらえると、やっぱり嬉しいですね。菓子は嗜好品ですから…自分が美味しい、満足できるものだと思っても、皆さんがそう思ってくれるわけではないですから・・・そういった意見をいただけると、率直に嬉しいです。
−上質な小豆がぎっしり詰まっていて、皆さん喜ばれるのは納得できます。ここのどらやきを食べたら他に行けないくらいです。
田中さん:お客さんは正直ですから、やはり手を抜くとそれが返ってきます。職人としての実績がない分、いいものを手頃な価格で提供する工夫は、日々求められますね。パソコンを使ってのラベル等も手作りです。業者に頼むとその分コストが跳ね上がりますからね。コストを削った分を、商品の良さに繋げたいんです。
−今後のビジョンとして、日本文化をより多くの人に伝える活動に力を入れていきたいということですが。
田中さん:昨年から年に4~5回程度、季節の和菓子教室を北九州で縁あって開催させていただいています。ただお店をやるだけでなく「教えていく・伝えていく」ほうにシフトしたいと思っていますので、こういった機会をこれからも増やしていく予定です。
お菓子をつくることを通して、伝統の和菓子にこめられた日本文化なども掘り下げて教えていこう、と。
ただ、教えるとなると、教える以上の知識を自分が持ってないといけまぜんので、私にとっても非常に勉強になっています。日々研鑽です。
−将来、こういったことをやっていきたい、実現したい、と思っていることはありますか?
田中さん:筥崎宮の近くに店を構えておりますので、もっと筥崎宮にちなんだお菓子の品数をふやしていきたいな、と思っています。
−今も、いくつか置いてありますね・・・「伏敵最中」、これもとても美味しかったです。
田中さん:実は最中は作りたてが一番美味しいんですよ。まだまだ改良の余地があります。
−「伏敵」…なんだか、苛烈な印象の名前ですね。
田中さん:「伏敵」は、敵をやっつけようという意味ではないんですよ。徳でもって敵を鎮めるという意味があるんです。
(文永11年(1274年)、蒙古襲来により炎上した筥崎宮社殿の再興にあたり亀山上皇は敵国降伏の宸筆を納めたとされる)
そういった箱崎や福岡の昔ながらの歴史や伝統を、お菓子で伝えていきたいですね。伝統の昔ながらの和菓子には、ひとつひとつ意味があったり、季節によって呼び方の変わるものがあります。
例えば、みんなが知っている「おはぎ」だけでも、ぼたもち、夜船、北窓、などさまざまな呼び方があるんですよ。
普段何気なく使っている言葉にも、生活習慣にも、その背景に日本の長い歴史と文化がある。現代社会で失われつつあるそれを、僕は和菓子を通して伝えていきたいんです。
−50歳で思い切った決断をされたわけですが、若いうちって「何をやったら良いかわからない」ことがよくあると思うんです。
田中さん:何かがやりたいけれど、なにをやったらいいかわからないときは、一度自分の棚卸しをするといいですね。やれるんじゃないかなぁ…と思うことって、8~9割やれることだと思うんです。「案ずるより産むが易し」というでしょう。まずはやってみないことには始まりませんからね。しがらみが無ければ、あれこれ考えるよりも、自分がラクでいられる、幸せでいられることにためらいを感じることはないんじゃないかな、と思います。
50歳にして大きく人生の舵を切って、ひたむきに自分の望む生き方を選んだ田中さん。
毎日店頭に並ぶお菓子は、四季を象徴した美しい宝石のような上生菓子から、昔ながらのあられや丸ぼうろなど 素朴なものも取り揃えられている。
福岡と、箱崎と、日本文化をこよなく愛する田中さん。今朝も小豆をゆでる大きな釜を見つめる田中さんの夢は、これからも続いてゆき、繋がれていくことだろう。
【筥崎小豆庵】
福岡県福岡市東区箱崎1-23-23
TEL:092-643-6886
営業時間:12:00〜19:00
定休日:水・木曜日